2026年12月号
特集
住するところ
なきを
花と知るべし
インタビュー②
  • 止揚学園園長福井 生

目に見えるものよりも、
目に見えないものを

自然豊かな滋賀県東近江市。重度の知的障碍がある38名とスタッフが生活を共にする止揚学園は、その住宅街の一角にある。皆が一つの家族のように歩む温かい園の雰囲気を慕って全国から訪問者が絶えないが、その雰囲気はどのように醸成されていったのだろうか。園長の福井生氏にお聞きした。

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    止揚学園園長

    福井 生

    ふくい・いくる

    昭和41年滋賀県生まれ。同志社大学神学部卒業後、2年間の出版社勤務を経て、止揚学園に職員として勤務。 平成27年から園長。

    一つの家族として共に生きる

    ――止し揚よう学園では障しょう碍がいのある方やスタッフが共同生活をされています。皆さん、まるで家族のように仲がよいそうですね。

    そうおっしゃっていただいて嬉しいです。現在この園では知的に重度の障碍がある26歳から77歳まで38人の仲間が生活しています。それを支えるスタッフが50人ほどいて、その中には園長の私の家族を含めて園に住み込んで共同生活を続ける人もいます。
    学園は1962年、クリスチャンだった父・福井達たつ雨うが創立し、今年(2026年)で64年。私が幼い頃から50年、60年と一緒に歩んできた仲間もいますから、自然と家族のようなよき雰囲気が醸成されたのでしょうね。

    ――福井さんご自身も、園でお生まれになったのですか。

    その通りです。物心つく頃には障碍のある仲間たちが共にいてくれて、私を負んぶしてくれたり、乳う母ば車ぐるまを押してくれたりしていたことなどを元理事長の母から聞かされてきました。私にとって仲間たちはそのくらい身近な存在でもあるんです。
    と同時に学園は仲間たちの終ついの棲すみ家かともなっています。敷地内に納骨堂があるのですが、障碍のある人もご家族も私たちスタッフも、共に人生を歩んだ仲間として死後、納骨されることを希望する人が多くいます。現在106人の方が眠っていらっしゃいます。

    ――止揚学園という名前もユニークですね。

    止揚という言葉は、ドイツの哲学者・ヘーゲルが用いたアウフヘーベンの日本語訳です。つまり、2つの全まったく異なるもの同士がぶつかり合い、より高い次元へと到達することで、新しいものが生まれる。これを私たちに当てはめると、知的に重い障碍がある仲間たちと、障碍のないとされる私たちがお互いにぶつかり合い、認め合い、支え合って共に生きる場、帰ってくる家をつくっていきたいという切なる思いが込められているんです。
    ありがたいことに現在、学園には学生ボランティアや福祉団体の視察など年間約2,000名の方が全国からお見えになります。皆さんには仲間たちと食事をしていただいた後、一緒に歌を歌ったりフォークダンスをしたりして楽しい時間を過ごしていただく。そのことを通して学園の雰囲気を感じていただくのですが、これも他にはない園の特徴でしょうね。

    ――温ぬくもりが伝わってきます。

    また、これも園にとって嬉しい出来事だったのですが、昨年、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞(人を幸せにする経営学会主催)の実行委員会特別賞を受賞することができました。受賞理由としては、重度の知的障碍のある入園者と職員が長年にわたり一つの家族として生活していること、創業者の理念を引き継いでいて事業に永続性があること、担い手の確保が難しい職種でありながら、定期的に若手の入職者があり離職も少ない、などの理由が挙げられていました。

    ――皆さん、喜ばれたでしょうね。

    はい。そりゃあもう。きっかけは当園に取材にお見えになった障碍者関連の雑誌社の方が感動し、「ぜひとも推薦したい」と言ってくださったことでした。2度目の挑戦で賞をいただきました。
    人間はいろいろなものから影響を受けている存在ですよね。それは人だけでなく建物も草木も、口にする茶碗だってそうです。これらすべての環境が仲間たちに安心感を与えてくれると僕は思っていますから、掃除や整理整頓は決して手を抜かずにやっています。
    また、朝、食卓を囲んだ時には、『聖書』を読んで皆でお祈りをするのが日課となっている。それらが相あい俟まって園の雰囲気を温かく清らかなものにしてくれている。そういうところも審査員の方々に高く評価いただいたのではないかと思っています。

    1966年、滋賀県東近江市に移設した当初の止揚学園