2024年3月号
特集
丹田常充実
対談
  • バレーボール女子日本代表チーム監督眞鍋政義
  • 柔道全日本女子監督増地克之

勝利を掴む
指導者の条件

東京2020オリンピックで惜しくも10位に終わったバレーボール女子日本代表チームを復活させるべく、5年ぶりに代表監督に復帰した眞鍋政義氏。同大会オリンピックにてメダルラッシュに沸いた柔道全日本女子を「準備力」をテーマに率いてきた増地克之氏。今年(2024年)開催されるパリオリンピックに向けて情熱を燃やすお二人に、世界の舞台で勝利を掴む人材・組織を育てる要諦、目指すべき指導者のあり方を語り合っていただいた。

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〝準備力〟を徹底し全階級金メダルを目指す

増地 バレーボールと柔道、競技は違いますが、現役時代はお互い同じ新日本製鐵せいてつの所属ということで、当時から眞鍋まなべさんのご活躍はテレビ等で拝見していました。
特に眞鍋さんの現役時代のポジションであるセッターは、バレーボールのチームのかなめですから、きょうはその経験を生かし女子日本代表チームをどのようにマネジメントされてきたのか、お話を伺えるのを楽しみにしていました。

眞鍋 こちらこそ、柔道全日本女子監督としてご活躍の増地ますちさんとお会いできることを楽しみにしていました。しかし、東京2020オリンピックでの日本の女子柔道の躍進はすごかったですね。全階級でのメダル獲得でしたか?

増地 残念ながら、7階級のうち1つだけ取れなかったんです。

眞鍋 でもあの活躍を見た私たちからすれば、全階級でメダルを獲得したというイメージですよ。増地さんとしては、どこに勝利の要因があったとお考えですか?

増地 もう一度、同じ活躍をしようと言ってもなかなか難しいと思うんですけれども、コロナで思うように練習できない中で、いろんな人に支えられ、オリンピックの舞台で柔道ができる。その喜びを選手たちが存分に発揮してくれたというのが正直な印象です。
メダルに関しては、どの階級もどちらに転ぶか分からない、本当にわずかな差での勝利でした。ただ、2016年に私が監督に就任して以降、選手やコーチたちにはとにかくしっかり準備をする〝準備力〟をテーマに戦っていこうと伝えてきました。本番のオリンピックに臨む前の準備をどれだけ徹底できるか。これが全員に浸透していった結果が、僅かな差となって現れたのではないかと思います。

眞鍋 どれだけ事前の準備を徹底できるかが、僅かな勝敗の差を分ける。おっしゃる通りですね。

増地 ただ、日本柔道の真価が問われるのは、アウェイで行われる今年(2024年)のパリオリンピックだと受け止めています。特に女子柔道はフランスが非常に強豪で、どの階級でも金メダルを獲る力を持っている。そのフランスにいかに勝つかが大きな課題です。実際、東京オリンピックで正式採用された男女混合団体では、日本の優勝が確実視されていた中で、惜しくも決勝戦でフランスに負けて金メダルを逃してしまいました。パリオリンピックでは、この悔しさをバネにぜひリベンジしたいと思います。

眞鍋 オリンピックになると、やはり柔道は勝って当たり前というようにものすごく注目されますから、プレッシャーも相当でしょう。

増地 もちろん、メダルを獲得することだけがすべてではありませんが、選手たちは皆「金メダルが獲れないと負けだ」という気持ちで戦っています。ですから監督である私としても、〝全階級金メダル〟の目標は決して変えることなく最後まで戦い抜く覚悟です。

バレーボール女子日本代表チーム監督

眞鍋政義

まなべ・まさよし

1963年兵庫県生まれ。中学からバレーボールを始める。大阪商業大学に進学後、1985年に神戸ユニバーシアードで金メダルを獲得、日本代表メンバーに初選出され、ソウルオリンピックに出場する。入社した新日本製鐵では選手兼監督として活躍し、リーグ優勝を経験。イタリア・セリエAのパレルモでプレーした後、旭化成、パナソニックで活躍。2005年現役引退後には女子チームである久光製薬スプリングスの監督に就任し、2年目でチームをリーグ優勝に導く。2009年に女子日本代表の監督に就任し、2010年世界選手権では32年ぶりのメダル、2012年のロンドンオリンピックでは28年ぶりの銅メダルを獲得。2022年より5年ぶりに代表監督に復帰し、現在に至る。

日本バレー界のために5年ぶりの代表監督復帰

増地 眞鍋さんは、2016年のリオデジャネイロオリンピック以来、5年ぶりに代表監督に復帰されましたが、どのような思いで監督を引き受けられたのですか。

眞鍋 私はロンドンとリオの8年間、バレーボール女子日本代表チームの監督を務めさせていただいて、東京オリンピックの時には解説をしていました。皆さんご存じの通り、東京オリンピックでは女子バレーは10位の結果に終わり、20数年ぶりに決勝トーナメントに進むことができませんでした。
それで最後のドミニカ共和国との試合に負けた翌日から、いろんな関係者の方に「もう一回、監督をやらないか」という連絡をたくさんいただいたんです。コロナ禍で東京オリンピックが一年延期になった影響で、次のパリオリンピックの出場権を得るまで1年数か月の準備期間しかない。時間がない中で誰も監督を受けたくはないだろうけど、ぜひやってくれないかと。でも、8年間も監督を経験させていただいたので、最初はまったくやる気がなくて、1か月半くらいずっとお断りしていました。

増地 ああ、そうでしたか。

眞鍋 ところが、ある方に「パリオリンピックに出場できなければ、日本の女子バレーはマイナースポーツになってしまう」と言われたんですよ。その言葉を聞いて、少しずつ考えが変わりましてね。「日本のバレー界のために、もう一度挑戦しよう」という気持ちが込み上げ、監督に復帰したんです。

増地 自分のためではなく、日本のバレー界のためにという思いで困難な仕事を引き受けられた。

眞鍋 5年ぶりに監督に復帰したわけですけれども、代表チームを見てみると、やはり前回のオリンピックの時よりも平均身長が低いんです。まあ、これはどうしようもないことですから、逆に身長が低いことをいかに有利にして戦っていくか、一つの課題としていまも取り組んでいるところです。
ただ、2023年に行われたパリオリンピック予選では、日本は5勝2敗と八チーム中、3位に終わり(各グループの上位2チームに出場権が与えられる)、パリオリンピック出場権を得ることができませんでした。本当に数字的には紙一重の試合でしたが、特に終盤20点以降、勝負どころの1点をいかに獲得するか、そこが世界との間にある壁だと感じました。
ですから、その部分を反省しながら、この6月に開催される国際大会「ネーションズリーグ」でしっかり結果を残し、パリオリンピックの出場権を獲得する。まずその目標に向かって挑戦していこうと選手たちには伝えています。

増地 昨年(2023年)のパリオリンピック予選をテレビで見ながら、女子日本代表チームのねばり強さをものすごく感じました。ぜひ6月の国際大会でパリ出場を決めて、同じ舞台で戦えることを願っています。

柔道全日本女子監督

増地克之

ますち・かつゆき

1970年三重県生まれ。警察官だった父の影響で、小学生4年生から地元の道場で柔道を始める。高校3年時に個人戦重量級でインターハイへ出場。高校卒業後は筑波大学に進学、在学中に全日本柔道選手権大会に初出場を果たし、以後、重量級のトップ選手として活躍を続ける。1994年全日本選抜体重別選手権95kg超級優勝(2連覇)。同年アジア競技大会(広島)無差別級優勝。1996年新日本製鐵に入社し、全日本実業柔道団体対抗大会で三度の優勝に貢献。2001年同社を退職後は、桐蔭横浜大学柔道部監督、筑波大学柔道部監督を経て、2016年全日本柔道女子代表監督に就任。東京2020オリンピックでは7階級のうち6階級にメダルをもたらす。