2021年12月号
特集
死中活あり
インタビュー①
  • 文学紹介者頭木弘樹

絶望体験が教えてくれたこと

大学生の時、絶えず厳しい下血に襲われる難病「潰瘍性大腸炎」を突然発症し、13年に及ぶ壮絶な闘病を経験した頭木弘樹氏。その夢も希望も抱けない人生の絶望期を支え、再び起き上がる力を与えてくれたのが古今東西の名作・古典の読書だったという。いまご自身の闘病体験をもとに文学紹介者として活躍する氏に、絶望との向き合い方、現代をよりよく生きる心の持ち方を語っていただいた(写真:©八雲いつか)。

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正常と異常は簡単に入れ替わる

——頭木かしらぎさんは難病による闘病体験をもとに、「文学紹介者」として本の出版や雑誌への連載、ラジオ出演など多方面でご活躍です。

私は1984年、大学3年生の時に突然、潰瘍性かいようせい大腸炎だいちょうえんと診断され、13年間、入退院を繰り返す絶望の日々を送りました。
その闘病生活の中で、読書によって心救われる体験をしましてね。自分も入院中に読んで心救われる本を出したい、絶望した時に読めば心救われる本を多くの人に紹介したいとの思いで、いま文学紹介者として活動しているんです。
本の出版や雑誌の連載の他、NHK「ラジオ深夜便」にも、電話出演の形で「絶望名言」というコーナーに出させていただいているんですけど、私も入院中、眠れない夜にはイヤホンをつけてラジオ深夜便をよく聴きました。そこに自分が出ているというのは感慨深いものがありますし、やっぱり、病室で聴くラジオを心の支えにしている人って結構多いんですよ。私の闘病体験がそうした方々の心に何か響くものがあればと願って、毎回放送に取り組んでいます。

——13年間入退院を繰り返したとのことですが、いまは体調のほうは落ち着いているのですか。

医療が進歩したこともあって、1998年に手術をし、それからはある程度、普通の生活を送ることができています。ただ、潰瘍性大腸炎は治療法のない難病ですから、完全に治ったわけではなくて、単に風邪をひくだけで危険な状態になることもあります。

——ではコロナも大変ですね。

そうなんですけど、難病の私にとっては、感染防止でマスクをつけたり、外出を控えたり、手を消毒したりといったことは、以前から当たり前にやっていたことなんです(笑)。スカイプなどのオンラインツールも真っ先に使っていました。でも当時は、夏にマスクをしていると異常者のように見られたり、スカイプでの取材も誰も対応してくれませんでした。
ですから、コロナ禍では世間の普通が異常になって、異常だった私が正常、普通になった(笑)。正常・異常の区別、世間の価値観っていうものは簡単に変わるんだなってことを改めて感じています。

文学紹介者

頭木弘樹

かしらぎ・ひろき

昭和39年山口県生まれ。筑波大学在学中、20歳の時に難病「潰瘍性大腸炎」と診断され、13年に及ぶ闘病生活を送る。その時の読書に救われた体験をもとに、「文学紹介者」として活動を始め、これまでに『絶望読書?苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(春秋社)『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』(草思社文庫)などの著書・編訳書を出版。NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーに出演中。