2022年11月号
特集
運鈍根
対談
  • 西山温泉慶雲館社長(左)川野健治郎
  • 社会教育家(右)田中真澄

永続する企業は
何が違うのか

1300年続く老舗温泉旅館に聞く

甲斐の山懐に包まれた辺縁の地に、1300年もの歴史を刻んできた西山温泉慶雲館。度重なる自然災害にも屈することなく、「世界で最も古い歴史を持つ宿」としてギネスブックにも認定されるに至った要因は何か。その歴史と共に、同館の運営に奮闘してきた川野健治郎氏の運鈍根の歩みを、長年老舗企業の研究を重ねてきた田中真澄氏に繙いていただいた。

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一身二生 もう一度立ち向かおう

田中 こちらへ伺う道すがら、こんな山深い場所に1300年もの歴史を刻んできた旅館が本当にあるのかと、信じられないような気持ちでしたが、いやぁ実に素晴らしい旅館ですね。感激しました。

川野 お越しいただいてありがとうございます。私も田中先生にお目にかかることができてとても嬉しく思います。

田中 けいうんかんさんは、2011年にはギネスブックに「世界で最も古い歴史を持つ宿」として認定されたそうですね。こんな素晴らしい旅館をつくり、守ってこられたというのは本当に偉大なことです。日本人として誇りに思います。

川野 先代は、私がこの慶雲館で働き始めた当初から「うちは705年から続いている日本で一番古い温泉旅館なんだ」と念仏を唱えるように繰り返していました。ところが、当館は過去に何度も自然災害に遭って蔵が流れたりしていたものですから、当時は何の証拠もありませんでしたし、自分たちで調べるすべもありませんでした。
幸い、雑誌の『日経ビジネス』で取り上げていただいたおかげで注目が集まりましてね。いろんな学者の方が調べてくださった結果、先代の言っていたことが歴史的事実として証明され、ギネスブックの認定にも結びついたわけです。

田中 本当によかったですね。これまで客観的に証明する手立てのなかった慶雲館さんの歴史が、世界的にも認められたわけですから。

南アルプス東麓の標高800メートル、早川の渓谷の畔に佇む慶雲館。「世界最古の宿」としてギネスブックに認定されている

川野 ギネスに認定されたことは、もちろん日本でも話題になりましたけど、それ以上に海外の反響が大きくて、すぐに中国の『人民日報』から取材を受け、その後もブラジル、アメリカ、ロシアなど、いろんな国の方が取材に来られました。オーストラリアは3代以上続いた会社がないそうで、国が調査に派遣した大学院生の方がお見えになりました。
今回、そのきっかけになった『日経ビジネス』の創刊に携わられた田中先生との対談のお話をいただいた時は、本当にびっくりしました。思いがけないご縁に感動しましたし、こういうご縁を呼び寄せてくれる慶雲館ってすごいなと、改めて実感しました。

田中 私も嬉しいですよ。

川野 先生のご本『百年以上続いている会社はどこが違うのか?』(致知出版社刊)を拝読し一番感動したのは、「いっしんしょう」という言葉です。これからの時代はこういう考え方がとても大事になってくるだろうと共感を覚えました。
私は1984年に25歳でこの慶雲館に来て、4年前に社長になり、いま63歳なんです。40年近く慶雲館にどっぷりかってきたものですから、もう十分にやった。65歳になったら引退しようかなと思っていたんです。
しかし先生のこの「一身二生」という言葉を拝見して、考えを改めました。65歳といっても、100歳まであと35年もある。後を託す予定の専務も、社長に辞められたら困ると言ってくれていますし、慶雲館が自分を必要としてくれているうちは辞めることはないと思い直したんです。

田中 その意気ですよ。先代から事業を引き継がれて、いまは川野さんがこの慶雲館のオーナーなんですからね。
私は書籍や講演を通じて、一般のビジネスパーソンにも、定年で会社を辞めたら、小さなお店でもいいから自分自身でオーナーになって、生涯現役で活動を続けましょうと提言しています。

川野 先生のお言葉を拝見して目が覚めました。引退するというと聞こえはいいけど、それはやっぱり苦労から逃げるってことですからね。
これまでいろんな試練に遭ってきましたが、いまのコロナを乗り越えるのは本当に並大抵のことではありません。けれどもそこから逃げるのではなくて、もう一度立ち向かおうと。そして慶雲館の暖簾のれんをこの先さらに100年、200年と守り続けていける土台をしっかり築き上げるのが私の使命だと改めて心に誓った次第です。

西山温泉慶雲館社長

川野健治郎

かわの・けんじろう

昭和34年宮崎県生まれ。高校卒業後に上京し、㈲西山温泉慶雲館入社。59年より同社が運営する慶雲館勤務。平成29年、同館の運営会社となった㈱西山温泉慶雲館社長に就任。

コロナ禍を通じての決断

田中 いまコロナ禍のお話が出ましたが、慶雲館さんもさぞかし苦労なさったことでしょうね。

川野 観光業は、とても利益なんか出ないような状況が続きましたからね。当館も2020年には200日ちょっとしか営業できず、随分厳しい状況が続いていました。けれども、おかげさまでこの8月から利益が出始めまして、今年(2022年)は何とか黒字で終わる見込みです。

田中 それは素晴らしいですね。どんな手を打たれたのですか。

川野 まず、地元の銀行からとてもよい条件で融資をいただいたことが大きかったですね。その上で、全部で35室ある客室の稼働を思い切って22室に減らして、経費を大幅に削減したことが奏功しました。
コロナ禍が始まってからこの2年間、どうすればこの試練を持ちこたえられるか、何度も電卓を叩いて試行錯誤を重ねましてね。まず去年、客室を27室に減らして、単価の低かった残りの5室を、すべてお食事用の部屋にしました。そこからさらに経費を削減するために、今年の4月から客室を22室にさせていただいたんです。
最初は、売り上げが減るといって皆から反対されました。けれども私は、これからはどれだけ利益を出せるかがより重要になってくる。1億円売り上げて1,000万円の利益を出すよりも、半分の5,000万円の売り上げで1,000万円の利益を出すような経営を目指すべきだと考えたんです。
実際、35室の時は満館で130人くらいのお客様にお泊まりいただいていましたが、22室ではおおむね60~70人になりますから、経費が半分くらいで済むようになりました。人件費も、以前は45人くらいいた従業員が、いまは30人くらいで済んでいますから、かなり抑制されています。そしてそれによって生じた余力で、これまで以上に手厚いおもてなしをさせていただいているんです。

田中 そのご方針は間違っていないと思います。恐らく今後はますます経済状況が厳しくなっていくでしょう。それでも慶雲館さんを利用し続けてくれるお客さんを、これまで以上にしっかりとつかんでいくことが重要ですからね。

川野 こんな人里離れた山の中で当館が1300年も続いてきたのは、温泉が気持ちよかったとか、旅館の雰囲気にやされたとか、何かお客様の心に残るものがあったからだと思うんですよ。
残念ながら、値引きを求めてお越しになる方は長くご利用いただくことは少ないんですけど、何度もご利用くださるリピーターのお客様はお値段のことは何もおっしゃらずに、ただ「この日は空いてる?」とだけ確認してお越しになるんです。

田中 商売はよいお客様の数で決まりますから、そういうお客さんをしっかり掴むべきだと私も思います。そんなに数は多くなくていいと思いますよ。

社会教育家

田中真澄

たなか・ますみ

昭和11年福岡県生まれ。34年東京教育大学(現・筑波大学)卒業後、日本経済新聞社入社。日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に出向し、『日経ビジネス』の創刊業務に携わり、販売手法の確立に尽力する。54年独立し、ヒューマンスキル研究所を設立。社会教育家として講演・執筆活動を展開。講演回数は7,000回を超える。著書に『百年以上続いている会社はどこが違うのか?』(致知出版社)など多数。