2019年1月号
特集
国家百年の計
私の提言①
  • 拓殖大学 国際日本文化研究所教授ペマ・ギャルポ

中国の脅威に
どう立ち向かうか

「このままだと日本は中国の属国になってしまう」。祖国・チベットを中国に奪われ、インドを経て日本へと亡命してきたペマ・ギャルポ氏は、そう警鐘を鳴らす。ペマ氏が祖国で見た恐るべき現実とはどのようなものだったのか。私たち日本人はいまどのような国家ビジョンを描かなくてはいけないのか。氏の話にそのヒントを探る。

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中国にはお決まりのパターンがある

日本では、いま中国の脅威が盛んに取り沙汰ざたされています。尖閣せんかく諸島に多数の中国船が押し寄せたり、南シナ海に人工島を建設して軍事拠点化したり、確かに中国の行動は独善的で目に余るものがあります。しかし、ここでは私はあえて「問題の本質は中国ではなく日本にある」と警鐘けいしょうを鳴らしたいと思います。目前の危機にただ手をこまねくしかない日本の現実が、問題をより深刻化させているからです。

「国家百年の計」という特集のテーマにからめれば、いまの日本や日本人には100年後を見据えたビジョンどころか、独立した国家としての概念も、国民としての意識も気概もありません。明確なビジョンを持たないまま、目の前に起きてくる出来事への対応にただ翻弄ほんろうされているような悲しいあり様なのです。

建国100周年に当たる2049年にはアメリカを追い抜いて世界の覇権はけんを握ると公言している中国と、近視眼的な方針しか描けない日本の、どちらが厳しい国際社会で生き残っていけるのか、結果は明らかでしょう。

その中国が、このところ従来の居丈高いたけだかな態度を一変、日本に対して低姿勢に出ています。日中平和友好条約締結40周年ということもあってか、日本国内には融和ムードが漂い始め、10月に実施された日中共同世論調査では、7割を超える中国人が日本に好意を抱いていると返答しました。

しかし、このムードを素直に喜んでいいのか、と言えばもちろんそうではありません。中国が下手したてに出る時は、必ずそれ相応の理由、裏の顔があるのです。いまの中国の実情に思いを巡らせれば、その答えはすぐに分かります。

中国がアメリカの経済制裁によって大変なダメージをこうむっていることは周知のとおりですが、それによって習近平政権は一帯一路いったいいちろ構想や経済支援を名目としたアジア、アフリカでのプロジェクトなどを進展できないでいます。あまりに風呂敷を広げすぎたために、あちこちの拠点を維持できなくなっているわけです。

国内に目を向けると、3兆ドルともいわれていた外貨準備高が大きく減り、習氏の独裁的なやり方に対する党員たちの不満はくすぶり続ける一方です。習氏は腐敗撲滅ぼくめつをスローガンに、今日まで反対派の党員を徹底して摘発してきました。実に100万人以上が離職や左遷させん、投獄などの処遇を受けたといわれています。その人たちが政権に反感を抱かないはずがありません。

軍部においても待遇改善を求める退役たいえき軍人たちの大規模デモが各地で頻発ひんぱつしています。同じ日に複数の都市で同時にデモが行われることは、退役軍人同士の横の情報網が機能している何よりの証拠です。ことほどさように、習氏はいま国内でも大変厳しい状態に立たされているのです。

中国が低姿勢に出てきた理由。それは自分たちが経済的に追い込まれた時、日本から資金を引き出すための心理作戦に他なりません。日中通貨スワップ協定を結ぶのも、いざ金融危機となった際に日本の外貨を確保しようという魂胆こんたんが透けて見えます。

ところが、子供にも分かるこのような簡単な理屈が、なぜか日本の指導者層にはなかなか理解できません。理解できないどころか、ムードにうっかり乗せられて自らわなにはまってしまうようなことを平気でやってしまうのです。これまでの日中関係の歴史はその過ちの繰り返しでした。

中国の目的は軍事的にも経済的にもアメリカを凌駕りょうがし、世界の覇権を握ることです。その実現のためには手段を選びません。ある時は柔らかく、ある時には高圧的に出て、相手の出方をうかがいながらジワリジワリと獲物に近づこうとします。それが中国のお決まりの行動パターンです。日本は一刻も早くその策略に目覚めなくてはいけません。

私がそのことを必死に力説するのは、このままいけば日本がいずれ中国にのみ込まれ、属国になってしまう姿がありありと目に映るからです。

59年前、中国に侵略されたチベットから脱出した私は、中国に侵略されたチベットやモンゴル、ウイグルの実態、国を奪われた民族の悲惨な運命を誰よりも知っています。私の第2の故郷である日本には、チベットと同じてつを絶対に踏んでもらいたくないのです。

拓殖大学 国際日本文化研究所教授

ペマ・ギャルポ

1953年チベット生まれ。59年中国軍の侵攻により家族とともにインドに脱出し、65年日本に移住。76年亜細亜大学法学部卒業。80年にはダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表を務める。2005年日本に帰化。現在、拓殖大学客員教授のほか、桐蔭横浜大学客員教授、岐阜女子大学名誉教授、チベット文化研究所所長、アジア自由民主連帯協議会会長。著書に『祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人』(ハート出版)など多数。