2019年1月号
特集
国家百年の計
私の提言②
  • 明治大学教授齋藤 孝

日本の国語教育はかくあれ

「国家百年の計は国語力の向上にある」と断言する齋藤孝氏。明治の日本がいち早く近代国家の仲間入りをした背景にも、高い国語力があった。ところが、現在の小学校1年生の国語教科書は子供に与えるべき十分な内容になっていないという。それを憂慮して、いま制作に取り組んでいるのが『齋藤孝のこくご教科書 小学1年生』。その刊行を前に、現在の国語教育の危機的状況と国語力養成の重要性についてお話しいただいた。

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国語が人生の基礎をつくる

国の土台をつくるもの、それは思考力だと思います。そして思考力の土台になるのが母語、日本人であれば日本語です。母語で思考することをしっかり認識するところからすべてが始まるのです。

その意味で、思考力とは言語の運用能力ということもできます。そして思考力をはぐくみ、母語の運用能力を高める教科である国語は、他のすべての教科の基礎になるだけでなく、人生の基礎になるといってもいいでしょう。

考える力は、訓練によって養われるものです。言葉を一つ覚えることは、新しい概念や視点を一つ獲得するということです。一つの言葉が、一つの新しい考え方との出合いをもたらしてくれるのです。

その時に重要になるのが語彙ごい力です。語彙力を高め、その上で意味と意味をつないで文章の関係性を見抜く力=文脈力を身につけていくと、他人の思考も理解できるようになります。すると自分の考えを深めるだけではなくて、人とコミュニケーションをとって新しい考えを生み出していく、つまり協調性を持ちながら自分の考えを言葉にして新しい提案ができるようになるのです。国家百年の計を考える時、これは次の100年を支えていく人間にとって欠かせない資質になると思います。

このような高い意識は言語能力と不可分です。ただ器用に話せればいいわけではなく、しっかりとした文章を読んで、そこに表れた精神の力を受け取ることも大切なのです。そして、その人の精神を継承するには、書かれたものを読むことが一番です。例えば、武士の心得がつづられた『葉隠はがくれ』という本があります。武士社会で生きていれば、その精神は自然に共有されますが、現代の私たちにはうまくイメージできません。しかし『葉隠』を読むと、当時の武士が何を考え、何を大切にしていたかがはっきりと伝わってきます。

そうした精神性を身につけるために江戸時代に行われていたのが素読そどくです。素読は意味を理解するというより、何度も音読して言葉を体に刻み込む学習法です。精神性の高い文章を素読によって自分の内側にしっかり入れると、それが力に変わるのです。その素読のテキストとなったのが、当時でいえば『金言童子教きんげんどうじきょう』や『論語』でした。そして、いまならば国語教科書がその役割を果たさなくてはならないと思うのです。

明治大学教授

齋藤 孝

さいとう・たかし

昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション技法。著書に『楽しみながら1分で脳を鍛える速音読』『楽しみながら日本人の教養が身につく速音読』『国語の力がグングン伸びる1分間速音読ドリル』『子どもと声に出して読みたい「実語教」』『日本人の闘い方』(いずれも致知出版社)などがある。