2017年2月号
特集
熱と誠
対談
  • 松下電器産業元常務取締役土方宥二
  • 松下幸之助氏元秘書六笠正弘

松下幸之助
に学んだこと

「かつてない困難からはかつてない革新が生まれ、かつてない革新からはかつてない飛躍が生まれる」。松下電器産業創業者・松下幸之助氏の残した言葉である。その言葉どおり、様々な困難を飛躍のチャンスとしてきたのが松下幸之助氏の歩みと言える。52年前に開かれた伝説の「熱海会議」は、まさにそれを象徴する出来事だった。会談の運営に携わった土方宥二氏と、24年間にわたり松下幸之助氏の秘書を務めた六笠正弘氏に、その熱と誠の人生について語り合っていただいた。

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松下幸之助が逝って28年

六笠 対談のお相手が松下電器の大先輩である土方さんということで、きょうはいささか緊張しております(笑)。

土方 いや、教わるのは私のほうですよ。秘書を長年務めたあなたのほうが松下幸之助創業者の素顔はむしろよくご存じでいらっしゃる。私もまだ知らない一面についてお聞きすることを楽しみにしてきました。

六笠 とんでもございません。

土方 在職中は、六笠さんから電話があるたびに、私などいつもピリピリと神経を尖らせたものです。創業者から今度は一体どういうことで呼び出されてお叱りを受けるのか、と(笑)。

六笠 当時はまだ電話がダイヤルかプッシュホンの時代でしたが、創業者がご自身でかけられるところは限られておりましたね。それで私ども秘書に「ちょっと誰それ呼んでんか」といつも指示されるんです。創業者の電話の活用は実に見事なものでした。だけど、その創業者も亡くなって、もうじき28年もの歳月が流れるわけです。

土方 早いものですね。

六笠 いまでも創業者を思い出しますと、深い寂しさが込み上げてきます。ただ、この世に肉体はないとしても、幸いに著書がたくさん出ておりますから、私も折々に紐解いてはお元気な頃のお姿を懐かしく思い出しているんです。
創業者は難しいことは何一つ語っておられません。平易な言葉ばかりですが、間口が広いし中身も深うございまして、しかも内容には非常に含蓄があります。学生さんや若いサラリーマンにもぜひ著書に触れていただいて何かを感じ取っていただきたいと願っているところです。
と同時に、やはり松下電器のOBとしましては、いまのパナソニックの皆様には極力創業者の著書に触れていただいて、創業者がお示しになった経営方針や経営の基本信念を受け継いでいただき、新しい時代を担うに相応しい会社の社員として着実に成長していただきたいという思いもございますね。

土方 私も思いは全く同じです。いまの経営陣には創業者から直接薫陶を受けた人こそいませんが、創業者の様々な教えはそれぞれの事業部門にしっかり浸透しておりますし、そこで育った人たちがいまトップになっているわけですから、DNAは受け継がれていると思います。実際、私自身も幹部から創業者のことについて教えを求められるケースが少なからずありますよ。

松下電器産業元常務取締役

土方宥二

ひじかた・ゆうじ

昭和8年新潟県生まれ。東京大学卒業後、33年松下電器産業(現・パナソニック)入社。平成2年取締役、6年常務取締役。同社顧問、客員を経て12年公益財団法人霊山顕彰会常務理事、霊山歴史館館長を歴任。

仕事とは止めを刺して終わり

六笠 土方さんは松下電器で常務取締役までお務めになったわけですが、ご入社は何年でいらっしゃいますか。

土方 昭和33年です。私がまだ東京の大学に通っている時、アルバイトで松下電器の東京宣伝部の仕事を手伝うようになったのがそもそものきっかけです。どこが気に入ってもらえたかは分かりませんが、当時の担当部長から「就職をするんだったら、松下電器に入らないか」と丁寧なお手紙をいただきましてね、いわば学校推薦ならぬ、異例の松下推薦で入社したわけです(笑)。
創業者と会ったのは、入社してしばらくして営業本部商務部に配属になってからです。商務部の大きな仕事は、会社の売り上げを事業部別に調べて集計し、それを創業者や社長、役員に報告をするというものでした。私は主任という立場でしたが、上司の課長が異動してきたばかりということもあって、私が創業者に報告に行くことが多くありました。
その度に事業部の状況について「私はこう思うが、君はどう考えるか」といろいろと質問をされるんです。ある時は営業所、事業部、販売会社への通達文書を書くお役目をいただき、特に熱海会談(全国販売会社・代理店社長懇談会)後の新販売制度の時、諸制度変更の通達について「通達がどういうふうに伝わっているのか、直接販売店に行って声を聞いてこい」と指示を受けたこともありました。
自分のやっていることが相手に正しく伝わって初めて止めを刺したと言える、正しく伝わっているか否かは相手に直接聞かないと分からないという創業者の現場重視の姿勢を直接教えられた貴重な経験でしたね。

六笠 私は土方さんより5年後輩になります。入社して間もなく新人の導入訓練がありまして、そこで講話を拝聴したのが創業者との出会いでした。この時は縁についてのお話で、いまでも覚えています。縁は切るに切れないものだ。松下電器に入社したことは前世から決まっていたかも分からないのだから、縁を大事に一所懸命に働きなさい、といった内容でございました。
文科系出身の同期入社の多くは営業所に配属になりました。私も京都の営業所で販売促進業務を命じられ、電気店回りをしながら商売というものを学ばせていただいたんです。その後、昭和40年春に熱海会談の結果を受けて販売制度の改革が実施されると、販売会社に出向となり、仕入れの担当者として勤務しました。そうこうするうちに本社の人事部に呼び出され秘書室勤務を仰せつかりました。昭和40年、26歳の時です。

松下幸之助氏元秘書

六笠正弘

むかさ・まさひろ

昭和14年中国(旧満洲)生まれ。関西学院大学法学部卒業後、松下電器産業に入社。40年松下幸之助氏の秘書となり、平成元年松下氏が逝去されるまで務める。その後、松下氏に関する資料の整理に当たる。