2017年2月号
特集
熱と誠
対談
  • 落語家桂 歌丸
  • 歌舞伎役者中村 吉右衛門

芸の道、限りなし

片や噺家生活65周年を迎えた桂 歌丸氏、80歳。片や2代目襲名から50年の節目を迎えた中村 吉右衛門氏、72歳。それぞれ日本の伝統芸能である落語と歌舞伎の道を熱誠一貫歩み、当代随一と称されるまでに己を磨き高めてきた。互いに尊敬し合っているというお2人の達人は、いかにして一道を切り開いてこられたのだろうか。

この記事は約23分でお読みいただけます

この対談は平成28年12月初旬に、東京都内のホテルで行われた。

互いに公演を見に行く仲

 振り返ってみますと、播磨屋(中村吉右衛門の屋号)の旦那とは過去に一度だけ対談をしているんですよね。

中村 はい。国立演芸場で。

 あれは確か平成6年か7年くらいでしょう。私が国立演芸場で『牡丹灯籠』の公演をしていた時、夜席で初めて旦那にお目にかかって対談をした。それがきっかけでしたね。まあ、その前から旦那のお芝居は好きでよく見ていましたけれども。

中村 歌舞伎座にもよくお出でくださって、最初は舞台の上から客席を見て、「どうも歌丸師匠に似た方がいらっしゃるなぁ」と思っていたら、やはり師匠でした(笑)。
そうやって師匠が見に来てくださったり、私も勉強のために師匠の落語を拝聴しに行ったりするというお付き合いが続いていますね。

 私が噺家になりました時に、師匠である5代目古今亭今輔から「歌舞伎を見ろ」って言われたんですね。ただ、それ以上のことは言わない。最初はなぜ歌舞伎を見ろと言っているのか分かりませんでしたが、見続けていくうちに気がつきました。要するに、「間と形を盗め」と。

中村 ああ、なるほど。

 歌舞伎では必ず相手がいて会話が進んでいくのに対し、噺家は一人で何役もやりますよね。ですから、会話の間を掴むということが一つ。
それから、歌舞伎ではいろんな小道具を使って演じますが、私たちは扇子と手拭だけ。それをどうやって本物に見せるか。例えば、噺の中で刀を抜く場面があるとしたら、扇子を抜いて、それがお客様には刀に見えなければならない。扇子に見えたのでは何もならない。
手拭を財布に見せたり、手紙に見せたり、その形が悪かったらお客様に伝わりませんからね。煙草の吸い方一つにしても、侍と町人では全然違う。そういう形を見せていただいています。本当にいいお手本になりますよ。
前は毎月のように拝見していたんですけども、ここのところ体の調子を悪くしてあまり行けていないので、とても残念なんです。

中村 お体だけは本当に大事になさってください。

 ただ、来年(平成29年)3月に旦那が『伊賀越道中双六』をおやりになるという情報が入りましたので、いまから楽しみにしています。

中村 ありがとうございます。
『伊賀越道中双六』は昨年(2015年)の「読売演劇大賞」で、歌舞伎作品として初めて大賞と最優秀作品賞を受賞しました。それでちょうど今年(2016年)国立劇場が開場50周年を迎えまして、50周年の最後の記念演目として3月に『伊賀越道中双六』をやらせていただきます。

落語家

桂 歌丸

かつら・うたまる

昭和11年神奈川県生まれ。26年11月5代目古今亭今輔に入門。後に4代目桂米丸門下となる。41年5月の日本テレビ『笑点』放送スタート時から出演。43年3月真打昇進。平成16年2月落語芸術協会会長に就任。18年5月『笑点』5代目司会者となり、28年5月より終身名誉司会者。著書に『歌丸 極上人生』(祥伝社)など。

落語が好きだからこそ65年続けられた

 いま国立劇場が50周年というお話がありましたけど、私も今年はいろんな節目が重なりましてね。まず『笑点』50周年、気がついたら1回目から出ているのは私だけになっちゃいました(笑)。年も80歳、結婚60周年、噺家生活65周年。

中村 それは大変貴重な年になりましたね。

 今年の5月に体力の限界から、10年間務めてきた『笑点』の司会を卒業しました。少しは楽になるかなと思っていたら、逆に忙しくなっちゃいましてね(笑)。
どうも疲れが取れない、食事も喉を通らない、嘔吐をする。そうしたら腸閉塞だというので7月に2回入院し、体重は36キロまで落ちたんです。
それでも8月5日に退院して、11日から国立演芸場で行われた「桂歌丸噺家生活65周年記念公演」の初日に復帰し、50分にわたって三遊亭圓朝師匠の長編をやらせていただきました。

中村 拝聴しましたが、ものすごいバイタリティーです。

 他にも全国各地で65周年記念と銘打って、落語会をやっていただきましたけど、おかげさまでどこもかしこも大入りでしたので、ありがたいなと思っています。
11月だけでも、福岡、静岡、宮城、北海道、神奈川、東京と飛び回って、8つの落語会に出席しました。
私は長いこと気管支を患っていまして、酸素吸入器にしょっちゅう頼っているんです。あと腰痛も抱えているでしょう。
だから、途中でちょっと苦しくなることもありますが、普通に正座して喋っている分には50分だろうが、1時間だろうが、平気なんです。

中村 よくあれだけの長丁場ビシッとして話されるなぁと、いつも感服しています。

 高座は食うか食われるかの真剣勝負ですからね。高座に上がっている間は、病のことなんか忘れちゃいます。で、終わってお辞儀した途端に思い出す(笑)。
私は15歳の時に噺家になりました。ゴルフとかサッカーとか、他にできることはないですし、財産があるわけでもない。もう落語をやる以外何にもないんですから、ずっと続けていくうちに、いつの間にか65年が経っちゃったという感じです。
やっぱり一番は好きだからこそ続けられたと思います。あとは、お客様にうけた時。これは最高の喜びですね。

歌舞伎役者

中村 吉右衛門

なかむら・きちえもん

昭和19年8代目松本幸四郎の次男として東京都に生まれ、母方の祖父・初代中村吉右衛門の養子となる。23年6月中村萬之助として初舞台。41年10月2代目中村吉右衛門を襲名。平成23年7月重要無形文化財「歌舞伎立役」保持者(人間国宝)認定。著書に『播磨屋画がたり』(毎日新聞社)など。