2021年6月号
特集
汝の足下を掘れ
そこに泉湧く
対談
  • (左)将棋棋士杉本昌隆
  • (右)料理評論家山本益博

一手一手に最善を尽くして

名人——どの分野にも、そう呼ばれる一流人がいる。才能や技術だけでは辿り着けないその特別な境地に達した人を各界に求め、鋭い論評を展開してきた山本益博氏。名人を頂点とする将棋の世界で鎬を削りつつ、藤井聡太2冠を筆頭に優れた弟子の育成でも注目を集める杉本昌隆氏。一流の人物をつぶさに見てきたお二人に、そこに至る条件について語り合っていただいた。

この記事は約28分でお読みいただけます

目の前の1局1局に集中して

山本 杉本さんは、この頃将棋の藤井聡太2冠の師匠としても注目を集めていらっしゃいますね。僕もしばしばテレビで拝見していましたが、まさか対談の機会をいただくとは想像もつきませんでした(笑)。

杉本 こちらこそ、お目にかかれて光栄です。きょうはよろしくお願いします。

山本 実は、僕が月に1回髪をカットしてもらっている理髪店が、東京千駄ヶ谷せんだがやの将棋会館の近くにありましてね。「ここで対局をしているのかしら」と思いながら前を通ったりするんです。

杉本 ぜひ1度お立ち寄りください。いまは将棋会館も観光名所のようになっていて、私も対局で出入りする時に「一緒に記念写真を撮ってもらえませんか?」って頼まれる時があるんです。
おかげさまで将棋界はこの数年、そんなふうに非常に注目していただいておりまして、「将棋は指さないけど棋士には興味がある」「対局の様子を見るのが楽しい」と言ってくださる方が増えています。これは藤井2冠の活躍や、彼が非常に親近感の持てるキャラクターであることも大きいと思います。きょうの山本さんとの対談も、将棋ブームのおかげで実現したと思いますので、改めて藤井2冠には感謝したいですね。

山本 師匠の目から見て、藤井2冠がここまで活躍する予感は、入門当初からあったのですか。

杉本 ありましたね。これまでたくさんのお子さんを見てきましたけれども、将棋の実力は当初から際立っていました。ただそれ以上に、感情が実に豊かで、負けた時に悔しさをまったく隠さないところが印象的でした。それでいて、次の勝負が始まった瞬間に何事もなかったように頭を切り替えて目の前の盤面に集中できる。才能のある子は過去に何人もいましたが、あれだけ勝負に正面から向き合える子というのは見たことがないです。

彼はよく「探求心」とか「成長」という言葉を使うんですけど、一流になろうと思って将棋をやっているわけではないという気がするんです。もちろん彼は2020年、棋聖きせい、王位とタイトルを立て続けに2つも取って、既にまぎれもない一流棋士なんですが、以前と変わらず淡々としていて、タイトルを取ったぞという満足とかおごりは全く見えてこない。とにかく目の前の1局1局に最善を尽くしたい、というのが1番の思いなんです。きょうは「なんじの足下を掘れ そこに泉湧く」というテーマをいただいていますけど、いまの彼はまさしくそんな気持ちで将棋と向き合っているような気がします。

料理評論家

山本益博

やまもと・ますひろ

昭和23年東京都生まれ。47年早稲田大学卒業。卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら名人芸 桂文楽の世界』として出版される。57年に『東京・味のグランプリ200』を出版して以来、日本で初めての「料理評論家」として活躍中。著書に『イチロー 勝利への10ヵ条』(静山社文庫)など多数。

礼に始まり礼に終わる

山本 ところで杉本さんはいま、将棋を指す方のことを「棋士」とおっしゃいましたね。僕の大好きなお相撲にも「力士」と、「士」を付ける呼び方があるけれども、もう1つ「お相撲さん」と呼ぶ時もある。で、僕はそれを、土俵入りの時のお辞儀の仕方を見て使い分けているんです。

杉本 あぁ、お辞儀の仕方で。

山本 いまで言うと、1番丁寧にお辞儀をするのは阿武咲おうのしょう、それから妙義龍みょうぎりゅう。ものすごく深く丁寧で、土俵の神様に自分の相撲を見ていただきます、恥ずかしくない相撲を取りますっていう気持ちが伝わってくる。こういう人は、まさしく力士だなと思うんです。

杉本 将棋の世界も「礼に始まり、礼に終わる」ことを大事にしていまして、棋士は対局の前後、そして対局内容を振り返る感想戦の後でお互いに礼をします。棋士によっては、感想戦も終わって対局相手がいなくなり、駒を片づけ終わった将棋盤に対して礼をする方もいらっしゃいますけど、それはいまおっしゃった力士の方と同じように、「きょうも1日将棋を指させていただきまして、ありがとうございました」という、将棋の神様への感謝の礼ではないかと思うんです。

山本 なるほど。杉本さんが将棋にかれたのも、そういうところですか。

杉本 いえ、覚えたのは子供の頃ですから、そこまでは考えていませんでした(笑)。純粋にゲーム性に惹かれたんです。
小学2年生の頃、父親にいろんなボードゲームを教わったうちの1つが将棋で、子供心に駒の動きに非常に惹かれたんです。例えば、桂馬けいまという駒は、2次元のボードゲームなのに、相手の駒を飛び越えて立体的に動くんです。そういうところに面白さを感じて将棋が好きになりました。早いもので、あれからもう45年経ちますけど、いまだに新しい発見の連続で、将棋の奥深さというものをつくづく実感しています。

山本 勝負事がお好きだったんですね。

杉本 実は、人と争う勝負事はあまり好きではなくて、どちらかというと本を読んだりするほうが好きな子供でした。

山本 それでもプロになろうと思われた。

杉本 将棋にプロがあることを知ったのは、将棋に出合って間もない頃でした。もうその頃は将棋に夢中になっていましたから、だったら自分も将来プロになりたい、将棋を仕事にできたらどんなに楽しいだろうと。よく学校で、将来なりたい職業を書くことがありますよね。私はかなり早い段階で「将棋のプロ」と書いていました。

将棋棋士

杉本昌隆

すぎもと・まさたか

昭和43年愛知県生まれ。昭和55年六級で故・板谷進九段に入門。平成2年四段に昇段しプロデビュー。平成31年八段。第77期順位戦で史上4位の年長記録となる50歳でのB級2組昇級を果たす。地元の東海研究会では幹事、また杉本昌隆将棋研究室を主宰。藤井聡太の師匠としても知られている。著書は専門書の他に『弟子・藤井聡太の学び方』(PHP研究所)など。