2021年2月号
特集
自靖自献じせいじけん
対談
  • (左)授業づくりJAPANさいたま代表齋藤武夫
  • (右)授業づくりJAPAN横浜〈中学〉代表服部 剛

子供たちの心の土台を
つくる感動の歴史教室

戦前の日本は悪い国だった——そのような〝自虐史観〟に基づく偏向した歴史教育が戦後日本の教育界に大きな影響を与え、いまなお子供たちの心の土台を蝕んでいる。共に教師として、思いを同じくする同志として、この自虐史観と闘い続けてきたのが齋藤武夫氏と服部剛氏である。これまでの教師人生の歩み、長年培ってきた歴史授業の豊富な実例を交えながら、子供たちの目を輝かせ、日本の明るい未来をつくる教育のあるべき姿を縦横に語り合っていただいた。

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お互いの出会いはまさに天の配剤

服部 歴史教育、歴史授業の大先輩として尊敬する齋藤先生と対談できるということで、きょうはとても楽しみにしておりました。
齋藤先生と初めてお会いしたのは1999年、その当時、東京大学教授を務めていた藤岡信勝のぶかつ先生(現・新しい歴史教科書をつくる会副会長)が設立した自由主義史観研究会の例会でしたね。齋藤先生は自由主義史観研究会に立ち上げから関わっておられて……。

齋藤 そうですね。もともと藤岡先生は、自由主義史観研究会を立ち上げる3年くらい前に「近現代史の書き直しプロジェクト」を東大の研究室で始められて、私も縁あって参加していたんですよ。
その後、2年間ほど藤岡先生がいわゆる「東京裁判史観しかん」の見直しに関する記事を教育雑誌に連載していく中で、数人のメンバーが集まり勉強会をするようになりました。それが1995年に自由主義史観研究会として、要するに戦後の偏向へんこうした歴史教育、自虐じぎゃく史観に基づく歴史の授業をつくり変えようと立ち上がったわけです。

服部 確かに、私が教師になった30年ほど前は、まだまだ日教組にっきょうその力が強く、偏向教育、自虐史観の全盛期でした。その中で私は「こんな教育はおかしい」と、しばらく悶々もんもんとした教師生活を送っていたんですけど、あるきっかけで自由主義史観研究会の存在を知りまして、近現代史の授業改革に取り組んでいる団体があったのかと、ものすごい衝撃を受けたんです。それほど当時の教育現場は真っ赤っかだった(笑)。
それで、矢もたてもたまらず、自由主義史観研究会の例会に飛び込みで参加をさせていただいた。

齋藤 そう。東大で開催していた例会に服部先生がいきなりいらっしゃった。いったい何者だという感じでした(笑)。

服部 とにかく自分は例会に行かなきゃならんとの思いだけが先行して(笑)。ただ私にすれば、藤岡先生や齋藤先生に出逢うべくして出逢ったといいますか、もう本当に感激でした。最初から世界史の中での日本の位置づけを教えていただいたり、天皇陛下をどう授業で扱うかを議論したり、本質的なことを教えていただいた。

齋藤 私たちもまだ研究会を立ち上げたばかりで、これから戦後の歴史教育を見直していこうという段階でしたから、若くて情熱あふれる服部先生の参加はありがたかったんですよ。ある意味、服部先生は既に戦後の自虐史観を乗り越えていたわけですからね。
それに、服部先生と初めてお会いした時、リーゼントでバッチリきめていて「何じゃ? ゾク(暴走族)の先生かいな?」と思ったんですが(笑)、それはとんでもない間違いで、特に教育方法に関しては、とても柔軟に考えられていて素晴らしいなと思いました。
服部 やっぱり、何を教えるのでも方法、型というものがあると思うんですよ。でも、まだ若かった当時の私には歴史教育への情熱はあっても、いかに教えるかという技術、型が伴っていなかったんです。その技術や形を藤岡先生や齋藤先生がいっぱい教えてくださって、ああ、この歴史の出来事はこうやって子供たちに落とし込んでいけばいいんだと、学びの連続でした。こんな私を受け入れてくださって本当に感謝しています。

齋藤 そういう意味では、私たちの出会いは、お互いにとって天の配剤だったのかもしれませんね。

授業づくりJAPANさいたま代表

齋藤武夫

さいとう・たけお

昭和24年埼玉県生まれ。立命館大学文学部中退。書店員などを経て59年埼玉県の小学校教師となる。退職後は浦和実業学園中学校で教鞭を執る。現在、授業づくりJAPANさいたま代表。独自のテキストを基に教師に歴史授業を教える講座を各地で行っている。著書に『学校でまなびたい歴史』(産経新聞ニュースサービス)『日本が好きになる! 歴史全授業』(私家版)など。

所属意識を否定する自虐史観の弊害

齋藤 ただ、事務局長の先生が引退されることもあって、自由主義史観研究会は、20周年の節目に解散することになったんですよね。

服部 ええ、残念でしたね。

齋藤 でも、これまでの取り組みがゼロになってしまうのは寂しいという声が上がり、現在の「授業づくりJAPAN」につながっていった。これは一か所に集まって何かをするのではなく、志を持った先生方がそれぞれのブログで情報発信し、お互いにゆるく繋がりながら歴史教育のあり方を草の根から変えていこうというものです。

服部 私も「授業づくりJAPAN横浜(中学)代表」として、日々どんな授業をしているか、生徒からどのような反応があったかなどをブログで発信してきました。現在は校務に追われて更新がとどこおっていますが、近々再開したいと思っています。こうした発信はこれからも地道に続けていかなくてはなりませんね。

齋藤 また、その間、私は小学校教師を退職し、「授業づくりJAPAN」の活動を続けながら、講演や歴史講座にも取り組むようになったんですけど、意外に多くの方が話を聞きにきてくださるんです。地元・埼玉から始まった歴史の連続講座は、千葉や名古屋、新潟、神戸などにも広がり、いまでは全国各地の講習に招かれる機会も増えてきました。

服部 特に小学校の若い先生方が齋藤先生の講座に集まっていますよね。やっぱり小学生にどうやって歴史を教えればよいのか、悩まれている先生が多いんですよ。

齋藤 あと驚くのは、40人くらいで歴史講座をやると、参加者の半分は教育とは関係ない一般の方だということです。もちろん、子供に正しい歴史を教えたいという保護者の方も多いのですが、数年前から、夫婦間や恋人間のいろんな問題解決を手助けするセラピストの方がいらっしゃるんです。
私の歴史講座を受けると、日本のことが好きになって、生き方にもとてもいい影響があるから、自分のセラピーに講座の内容を取り入れているそうなんですね。実際にその方がセラピーに日本の歴史の素晴らしさや先人に感謝する大切さを取り入れたところ、夫婦やカップル同士の仲がよくなったというから、本当に不思議です。

服部 それも、齋藤先生の歴史教育が戦後の偏向教育、自虐史観におちいってないからだと思います。結局、戦前の日本は悪い国だったという自虐史観が刷り込まれると、自分のご先祖様の努力の積み重ねも否定されてしまうんです。加えて、自分はひどい国に生まれたんだと思えば、やっぱり自分自身を否定することに繋がっていきます。
逆に日本は素晴らしい国だ、ご先祖様は立派だったんだという史実をそのままに教えていけば、自分のことはもちろん、他人のことも認めやすくなると思うんです。後にお話ししますけど、これは学校現場で子供たちを見ていて本当に実感していることです。そういう点では、歴史教師の仕事とセラピストの仕事にはシンクロするところがあるのかもしれません。

齋藤 心理学に「自己肯定感」という言葉があります。この自己肯定感は、自分は孤立して存在しているんじゃない、自分は共同体に属しているという所属意識からくるものだと思うんですね。一番小さな共同体は夫婦であり、家族であり、それが広がったものが地域社会、国家なわけですけど、まさにその自分が所属する共同体を否定するのが自虐史観なんです。
自国の悪口を教わった子供たちの自己肯定感は低くなり、生きる力も弱くなります。間違った歴史教育によって日本人が所属する共同体を否定したことが、戦後日本の教育の最大のあやまちだったと思います。

授業づくりJAPAN横浜〈中学〉代表

服部 剛

はっとり・たけし

昭和37年神奈川県生まれ。学習塾講師を経て、平成元年より横浜市公立中学校社会科教諭となる。元自由主義史観研究会理事、現・授業づくりJAPAN横浜(中学)代表。著書に『先生、日本ってすごいね』(高木書房)『感動の日本史』(致知出版社)などがある。