2021年2月号
特集
自靖自献じせいじけん
対談
  • (左)臨済宗円覚寺派管長横田南嶺
  • (右)榊原記念病院副院長高橋幸宏

7,000人の小児の命を
救う中で見えてきたもの

このほど弊社より『7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀』を上梓した高橋幸宏氏。小児心臓外科医として約40年のキャリアを通じ、書名の通り7,000人以上の命を救い、手術成功率は驚異の98.7%を誇るゴッドハンドである。高橋氏が予てよりお話を伺いたいと切望されていた横田南嶺氏と共に語り合う、いかにして自己を磨き、後進を育成してきたか、それぞれの立場で慈悲に生きてこられた歩みはまさに自靖自献そのものだ。

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あらゆる職業に通底する仕事の流儀

高橋 かねてより横田管長のことは一方的に存じておりまして、お会いして勉強したいとずっと思っていたものですから、きょうは夢がかないました。

横田 そうおっしゃっていただけるのは光栄なことですが、高橋先生の相手が務まるような者じゃありませんので、どうぞ期待しないでください(笑)。
坂村真民しんみん先生に「ねがい」という題の詩がありまして、

 一羽の鳥を救いえば
 一匹の羊を救いえば
 一人の人を救いえば

と、これだけの短い詩なんです。
私なんかはまさにこの詩の通りで、自分との出逢いによって救われたという人が一人でもいてくれたら、もうそれで十分だと思って生きているんですね。ところが、高橋先生は七千人の命を救われた方ですから、これはとても私などには相手は務まらないと。
それでもご縁と思って、ご著書『7,000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀』(弊社刊)を読ませていただきました。

高橋 ありがとうございます。

横田 7,000人の子供の命を救った心臓外科医、手術成功率98.7%を誇るゴッドハンド、こういう言葉だけを見ますと、現代医学の最先端で精密なデジタルを駆使してという印象が強くて、確かにその通りなんだろうと思います。
でも、この本を読んで率直に感じたのは、それとは対照的に職人の世界に通じるアナログの感覚だなと。私は鍛冶かじ屋のせがれでございまして、父親は中学校を卒業してからひたすら鉄を叩いていました。職人というのはまさしく暗黙のうちに学んで腕を磨いていく世界。そんな家庭で育ったものですから、「皮膚感覚」とか「現場にいることが大事」という言葉に感じ入ったのかもしれません。
皮膚感覚というのは言語化して説明できない、現場にひたすらいることによってつちかわれていく感覚なんだろうと思います。

高橋 そうですね。小児心臓手術で求められるのは、お互いの手を邪魔しない皮膚感覚です。何しろイチゴくらいの大きさの心臓に執刀医しっとういと第一助手、第二助手、6つの手が交差しますから。その皮膚感覚を自分のものにするにはなるべく多く手術室にいること。これが一番手っ取り早い方法です。

横田 また、「度胸、太っ腹、臨機応変、融通、余裕、運などといったものは、マニュアルにはなりません」という言葉も、私どもの修行の世界にかなり通用してくるところです。

高橋 この本が発売されて以降、ありがたいことに医者の連中よりむしろ一般企業の方々から面白いと好評をいただいていましてね。いま横田管長がおっしゃってくださったように、医療の世界だけに留まらず、職業・仕事のジャンルを超えて通底つうていするものがあると、皆さん口をそろえています。
ただ一番喜んでくれたのはやっぱり家族です。特に、数え90になる母親は若い頃に高校の教員をしていた人脈を駆使して販促活動に邁進まいしんしている(笑)。外科医って家族との時間をつくることがなかなか難しいんですけど、ようやくこれで少しは親孝行できたかなと感じています。

榊原記念病院副院長

高橋幸宏

たかはし・ゆきひろ

昭和31年宮崎県生まれ。熊本大学医学部卒業後、心臓外科の世界的権威と呼ばれた榊原仟氏が設立した榊原記念病院への入職を希望するも、新米はいらないと断られ、熊本の日赤病院で2年間初期研修。58年榊原記念病院に研修医として採用。年間約300例もの心臓血管手術を行い、35年間で7,000人以上の子供たちの命を救ってきた。手術成功率は実に98・7%に及ぶ。平成15年心臓血管外科主任部長、18年副院長就任。医学博士。著書に『7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀』(致知出版社)など。

仕事を愉しむ「緊張しない訓練」

横田 きょうは高橋先生にお聞きしたいことがいろいろありまして、一つは、この本の中に「緊張しない訓練」という言葉が出てまいりました。例えば62頁に「若手外科医からは〝手が動かないほど緊張した〟という言葉もよく聞きます。しかしそれは緊張しない訓練ができていない証拠です。執刀医は必要以上に緊張してはいけません。起こっていないことにビクビクする必要もありません」と。
私なんかはもういまだにダメなんです。きょうも先生と対談するということで、朝から緊張でどうしようもない(笑)。ただ、先生と私の一番大きな違いは何か。それは私の仕事は命に別状はないということです。ですから、緊張してもいいやって開き直っているんですけれども(笑)、この「緊張しない訓練」というのは何か具体的にあるのですか?

高橋 これは何か効果的な方法があるわけではないんです。若い研修医が手術に慣れるまでの時間をいかに短くするか、そこは先輩の仕事だと思っています。
もちろん最初に執刀する手術はもう毛穴が開くくらい緊張します。いわゆる鳥肌が立つ以上の状態です。僕もそういう経験がありますし、誰でも最初はそうなんですね。だから緊張するだけさせておけばいい。ただ、少なくとも患者さんやご家族の前では緊張する態度を見せてはいけないし、大事なのは手術室で取り返しのつかない失敗をさせないように、チームでケアすること。
若い研修医がやる手術は難しい症例ではありませんので、周りが助け舟を出したり文句を言ったりしながら、スムーズに終わらせてあげる。そういうことを繰り返しやっていくと、「大丈夫だ」という感覚が出てきて、緊張することが馬鹿馬鹿しくなる、緊張するだけ無駄なんだってことを段々と覚えていくんです。

横田 周りの人の協力が欠かせないということですね。

高橋 はい。よい意味でだますといいますか、チームとしてたのしんで手術をやっている雰囲気をつくることが大事だと思います。

横田 別の箇所に「上司はどんなに苦労しているとしても、うそでもいいから部下には愉しそうに働いている演技をすることも大切です」「できるならば手術チーム各員が少しでも愉しく、ニコニコしながら子供たちを救うことができれば、こんなに幸福なことはないだろうといつも考えています」という表現もございましたね。

高橋 あまり難しい顔をして人に接したくはないんです。なかなか難しいことも多いですけど、僕らが愉しくなければ生まれたばかりの赤ん坊や小さい子供の命はつながらないような気がします。

臨済宗円覚寺派管長

横田南嶺

よこた・なんれい

昭和39年和歌山県新宮市生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』『命ある限り歩き続ける』(五木寛之氏との共著)など多数。最新刊に『十牛図に学ぶ』(いずれも致知出版社)。