2024年6月号
特集
希望は失望に終わらず
対談
  • ヤマサコウショウ社長佐々木 孝寿
  • 阿蘇立野病院理事長上村晋一
大災害との闘い

我が社はこうして
立ち直った

今年の年頭、日本中に衝撃をもたらした能登半島地震。復旧半ばの現地に、1日も早く平穏な生活が戻ってくることを祈らずにはおられない。佐々木孝寿氏と上村晋一氏もまた、それぞれ東日本大震災と熊本地震で被災し、失意のどん底に突き落とされた体験を持つ。2人はかつてない危機からいかに立ち直ったのか。実体験から学ぶ、絶望を希望に転じる歩み方。

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必ず復興できるそう強く信じてほしい

上村 佐々木さんとは、『致知』を通じて人間学を学ぶ社内木鶏会もっけいかいの実施企業同士であり、またお互いに大きな災害を乗り越えてきた共通点もあります。ですから、私は佐々木さんのことを勝手にソウルメイトと思って、特別な親しみを抱いているんです。

佐々木 ありがとうございます(笑)。

上村 この度私たちが対談の機会をいただいたからには、やはり今年(2024年)の年初に起きた能登半島地震のことに触れないわけにはいきませんね。きょうの時点では復旧もまだまだ道半ばのようですが、私も熊本地震で被災しましたから、現地の方々のご苦労はとても他人事とは思えません。

佐々木 私も東日本大震災で被災しましたから、上村さんと同じ思いです。この度被災された方のことを思うと本当にお気の毒で、まずは心よりお見舞い申し上げます。

上村 私も、現地の方々に心の底からお見舞いを申し上げたいです。
発生したのは、元日の午後4時過ぎでしょう。家族団らんの一番リラックスした時間に突然あんな悲劇に見舞われて、皆さんは天国から地獄へ突き落とされたような心持ちではないでしょうか。本当にお気の毒で……。
熊本地震で被災した私の地元・阿蘇あそは、観光地というアドバンテージもあって比較的復興も早かったと思うんです。しかし能登は半島という土地柄もあって、物資の運搬がかなり大変なようですね。

佐々木 いま私から現地の方に申し上げられることは、必ず復興できますので、そのことを強く信じていただきたい。いまがどんなに大変でも必ず復興できる。そう信じていただきたいということです。

上村 おっしゃる通りです。あきらめなければ道は絶対に開けます。どうか現地の皆さんには心折れることなく、復興する気持ちを強く持っていただきたい。そう祈るばかりです。

ヤマサコウショウ社長

佐々木 孝寿

ささき・たかとし

昭和40年宮城県生まれ。東北学院大学経済学部卒業。東京の水産卸会社を経て、平成6年ヤマサコウショウに入社。21年同社社長に就任。

地震で裏山に亀裂決死の覚悟で患者を移送

佐々木 熊本地震が起きたのは、確か8年前でしたね。

上村 はい。2016年の4月でした。14日に大きな前震があって、本震に見舞われたのは16日の深夜1時25分でした。あの時は熊本市内の自宅にいましたけど、すごい揺れで立ち上がることもできませんでした。マグニチュード7.3の大地震でした。
私が理事長を務める阿蘇立野たての病院には、その時70人の入院患者さんと10人のスタッフがいて、一刻も早く状況を知りたかったんですが、自宅からは車で45分くらいの所にあって、とても行ける状態ではないんですね。
2時半過ぎには市内にいる幹部が集まってくれたので、対策本部を立ち上げたのですが、病院とはどうしても連絡が付かない。そうした中で、幹部の1人が私の制止を振り切って命懸けで病院へ向かいました。車で瓦礫がれきや倒木、落石など、障害物だらけの裏道をくぐり抜けて何とか現地に辿たどり着いて確認したところ、患者さんもスタッフも奇跡的に全員無事でした。

熊本大地震によって大きな被害を受けた阿蘇立野病院

佐々木 本当によかったですね。

上村 向こうからかかってきた電話は数秒おきに切れてしまう状態でしたが、無事が分かった瞬間に思わず腰が抜けてしまいました。
ただ、人も建物も無事ではあったんですが、裏山に亀裂が入っていて、病院がいつ大量の落石や土砂に直撃されるか分からないと。一刻の猶予もないと判断した私は、すぐに県と国の災害派遣医療チーム(DMAT)と連携して、近隣の8つの病院に入院患者さんの転院手配をしました。そして何とかその日の午後1時過ぎには、全員を移送用のバスに乗せて退避していただくことができたんです。

佐々木 とても際どい状況だったのですね。

上村 迎えに来たのは観光バス2台でした。90歳前後の、自分でたんも出せない寝たきりのお爺さん、お婆さんたちに、リクライニング機能もない座席に腰掛けて移動していただくわけです。一番近い転院先でも30分くらいかかるんですが、付き添いで同乗できる看護師は1人しか出せない。どうか何もトラブルが起きませんようにと、祈るような気持ちでお見送りしました。
しかし、皆さんはさすがに先の大戦を経験された方々だけあって、これはただごとではないと思われたんでしょうね。その時だけはご自分で痰を出して乗り切られたんですよ。そうして6時間がかりで全員の移送を終えた時には、安堵あんどでまた腰が抜けてしまいました。

阿蘇立野病院理事長

上村晋一

うえむら・しんいち

昭和40年熊本県生まれ。久留米大学医学部を卒業後、癌研究会付属病院、熊本大学第一外科などを経て、平成12年に医療法人社団順幸会阿蘇立野病院へ戻る。19年同院院長。26年同院理事長に就任。