日本を代表する義肢装具士として、切断障がいで心に傷を負った多くの人々に生きる希望と勇気を与えてきた臼井二美男氏。その臼井氏の競技用義足に救われた1人である鈴木徹氏は、走り高跳び選手として2000年のシドニー大会以来、実に6大会連続でパラリンピックに出場し、自らの限界と可能性に挑戦し続けてきた。そんなお二人が語り合う、越えて来た山坂と活躍し続ける要諦、失望を希望へと転換する心の持ち方──。
義肢装具士
臼井 二美男
うすい・ふみお
昭和30年群馬県生まれ。大学中退後、フリーター生活を送る中、28歳で義肢装具士の仕事に出合う。以後、鉄道弘済会・義肢装具サポートセンターに勤務し、生活用義足や競技用義足の製作、さらに個人で陸上クラブ・スタートラインTOKYOを立ち上げ、障がい者スポーツの普及に取り組む。令和2年「現代の名工」、4年文部科学大臣賞、5年内閣総理大臣賞、同5月黄綬褒章など受賞(章)多数。
SMBC日興証券㈱所属パラ陸上選手
鈴木 徹
SMBC日興証券㈱所属パラ陸上選手 鈴木 徹 すずき・とおる―昭和55年山梨県生まれ。ハンドボール選手として、高校時代に国体三位の成績を残す。18歳の時に交通事故で右足の膝から先を切断。入院・リハビリを経て、日本初の義足の走り高跳び選手に。平成12年シドニー大会を皮切りに6大会連続でパラリンピックに出場。平成28年のジャパンパラ競技大会で2メートルの大台を突破する。令和元年の世界選手権では2大会連続となる銅メダルを獲得。現在もSMBC日興証券に所属し、選手兼日本パラ陸上競技連盟の強化コーチとして第一線で活躍を続ける。