2021年10月号
特集
天に星 地に花 人に愛
  • 後藤静香記念館館長中澤宏則
愛の実践者

後藤静香の遺した教え

大正・昭和期に活躍した社会教育家の後藤静香師。修養機関誌『希望』をはじめ、生涯に創刊した月刊誌は21種、著書は70余冊にも及ぶ。最盛期にはその誌友は100万人を数え、全国の同志と共に、社会福祉活動に尽力した。師の薫陶を受けた最後の世代である中澤宏則氏に、思い出を交えて師の愛に溢れた波瀾の人生を辿っていただく。

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「愛とは何か」に対する先生の答え

「人生いかに生くべきか」、この人類永遠の課題とも言うべき問いを探究し続け、社会教育と社会福祉に己を捧げ切った後藤静香せいこう先生。没後50年以上が経ったいまなお、先生が灯した明かりは多くの人々の心に燦然さんぜんと輝き続けています。

後藤先生は単独執筆の月刊誌『希望』をはじめ数々の雑誌を発行し、最盛期は全国に100万の同志を有し、執筆に講演にと縦横に活躍されました。国民教育の師父・森信三しんぞう先生は明治以降の我が国の社会教育運動史を大観し、修養団創設者・蓮沼門三はずぬまもんぞう氏、青年団の父・田沢義鋪よしはる氏、作家・下村湖人こじん氏、青年運動の先駆者・山下信義氏と並ぶ人物として後藤先生を評しておられます。

先生の愛弟子や孫弟子である私たちが、先生の84年の生涯をひと言で表せと問われれば、真っ先に「愛の実践者」と答えることでしょう。それほど先生は皆を家族のように愛し、温かい眼差しをもって接してくださいました。

私が後藤先生と邂逅かいこうを果たしたのは昭和38年秋のこと。時に先生79歳、私18歳でした。群馬県高崎市で育ち、浪人を機に上京したばかりの私を案じた母から、東京・池上で毎月1回開催されていた「人生大学」を紹介されたのがきっかけでした。社会教育団体「心の家」が主催していた人生大学では先生が毎月執筆されていた個人通信『新建設』を教材に、参加者30~40人が車座になって、一人ひとりが先生の講義についての感想を共有し、生き方を模索していました。

先生の第一印象は「優しそうなおじいちゃん」でした。しかし会への参加を重ねるごとに、先生の一言一句が輝きと威厳を持って胸に迫ってくるようになったのです。心の家は「けいしんあい」(人を敬い、人を信じ、人を愛する)の精神をもとに、心の兄弟姉妹、大家族をつくることを理念に掲げた団体です。18歳だった私は先生の人生を深く紐解ひもといたお話以上に、この家族のように温かく、ざっくばらんに接してくれたその愛情に心惹かれ、毎月通い続けていました。

先生のお話や著作には「愛」という言葉がよく出てきました。地方でのんびりと育ってきた私には、この「愛」が見当もつきません。そこで恐れ多くも、先生に「愛とは何か」と葉書でお尋ねしたことがあります。すると、すぐにこんなお返事をいただいたのでした。

「大問題です。言葉ではいろいろと表現できましょうが、愛の実体にふれることはできますまい。要するに愛とは、自分に接する者を、少しでも幸福にしようとする努力です」

そしてその手紙には、愛を実践することの大切さが説かれていました。これは愛の実践者たる先生の生き方を如実に表していると思います。私が人生大学に参加して1~2年ほど経つと先生は教壇から退かれましたが、先生の薫陶くんとうに10代から接することができたのは、私の生涯を決定づけたと言っても過言ではありません。

後藤静香記念館館長

中澤宏則

なかざわ・ひろのり

昭和19年神奈川県生まれ。浪人中に後藤静香師に出逢う。岡三証券に勤務。後藤師の死後も「心の家」常務理事としてその教えを広めることに尽力。現・後藤静香記念館館長。