2023年5月号
特集
不惜身命 但惜身命
一人称
  • 広島大学大学院人間社会科学研究科教授鈴木由美子

ペスタロッチの
生き方が教えるもの

18世紀から19世紀にかけて社会的混乱が続いたスイスで、孤児や貧民をはじめとする子供たちの教育に人生を捧げたハインリッヒ・ペスタロッチ。その生涯は挫折と栄光の繰り返しだった。ペスタロッチの不屈の人生や教育論について広島大学大学院教授の鈴木由美子氏にお話しいただいた。

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その献身的な生き方の原点

ハインリヒ・ペスタロッチーここに眠る。/1746年1月12日チューリヒに生まれ、/1827年ブルックに歿ぼっす。/ノイホーフにおいては貧しき者の救助者/『リーンハルトとゲルトルート』の中では人民に説き教えし人。/シュタンツにおいては孤児の父。/ブルクドルフとミュンヒェンブーフゼーとにおいては国民学校の創設者。/イヴェルドンにおいては人類の教育者。/人間! キリスト者! 市民!/すべてを他人のためにし、/己には何ものも。/恵あれ彼が名に!

これはスイスのアールガウ州にある教育者ハインリヒ・ペスタロッチの墓碑に刻まれた言葉です。この墓碑銘のように、ペスタロッチは自身には何の見返りも求めることなく、貧民や孤児をはじめとする子供たちの教育、救済に献身する生涯を送りました。そして、彼の教育思想はその死から200年が経過したいまも世界の教育界に多くの影響を与え続けています。

本欄では、ペスタロッチの81年の歩みを辿たどりながら、彼が生涯を通して探究し続けた教育について考えてみたいと思います。

ペスタロッチはいまから約280年前、スイスのチューリヒに生まれました。医者だった父親を幼い頃に亡くし、母親と女中バーベリによって育てられます。父親は臨終の床にバーベリを呼んで「自分が死んだ後、生涯この家を支えてほしい」と伝え、彼女はその遺言を胸に留めて終生、無給でペスタロッチ家を支え続けるのです。ペスタロッチの献身的な生き方と女性に対する尊敬の念は、幼少期に間近に接したバーベリの影響によるものと思われます。

もう1人、少年期のペスタロッチに影響を与えたのが、近くの農村に住む祖父でした。牧師である祖父は、貧しい村の子供たちや家族を親身になって支援しており、その姿を見ていつしか自らも牧師をこころざすようになります。

神学を学ぶためにカール大学(チューリヒ大学の前身)に進学したペスタロッチが強い感化を受けたのが平等主義に立脚したルソーの政治思想でした。一時は仲間と共に過激な政治活動に関わり、官職に就いて法律の力で人々を救済したいと思うまでに傾倒していましたが、スイス当局を批判する文書を書いたとの身に覚えのない嫌疑を掛けられ、官職への道は閉ざされてしまいます。

神学の道も法律の道も放棄せざるを得なくなったペスタロッチは農場経営に乗り出します。自然災害にほんろうされる農家の苦労を目の当たりにする中で、農業改良を通して人々を救済しようと考えたのです。妻の持参金などを注ぎ込んでノイホーフと名づけた農場を確保。2階建ての家を構え、主要作物の小麦に替わる商品作物の栽培を始めます。小麦が不作になったとしても、商品作物で収入をカバーできると考えたためでした。

ところが、〝よそ者〟であるペスタロッチが大きな家を構えて新たな農業に取り組んだことは村人の反感を買い、ついに銀行の融資を断たれて農業を続けることができなくなりました。

私が約20年前に訪れた時もノイホーフ一帯はゴツゴツしたせた土地でした。周囲から白い目で見られながらこの土地で農業を続けることがいかに困難を極めたか、往時の苦労をしのんだものです。

広島大学大学院人間社会科学研究科教授

鈴木由美子

すずき・ゆみこ

広島大学大学院学校教育研究科修士課程、東北大学大学院教育学研究科博士課程後期単位取得退学。教育学博士(東北大学)。東北大学教育学部助手等を経て現職。専門は道徳教育論。著書、共著に『ペスタロッチー教育学の研究──幼児教育思想の成立』(玉川大学出版部/平成5年度日本保育学会保育学文献賞)『やさしい道徳授業のつくり方』『子どもが変わる道徳授業』(溪水社)など。