2025年8月号
特集
日用心法
対談
  • 作家五木寛之
  • 帯津三敬病院名誉院長帯津良一

人生の玄冬げんとうを歩く

五木寛之氏92歳、帯津良一氏89歳。片や希代のベストセラー作家として、片やホリスティック医学の第一人者として、それぞれの道をいまもなお第一線で走り続けている。2人の活力の源、そして長きにわたる人生行路を通じて見えてきたものは何か。共に90の坂に差しかかった2人が縦横に語り合う、老病死を乗り越える人生の秘訣。

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    休まず書き続けることこれがいまのモットー

    五木 帯津さん、お久しぶりです。

    帯津 お目にかかるのを楽しみにしていました。少し前に講演会でご一緒して以来ですね。

    五木 そうでしたね。帯津さんとはよく旅先でばったり顔を合わせてきましたが、普通に会うよりもうんと嬉しいものですよね。おかげさまでお互いを「先生」ではなく、「さん」と呼び合うようなフラットなお付き合いをさせていただけるようになったのは嬉しい限りです。最近も旅にはよく行かれるのですか?

    帯津 講演で出かけることがよくあります。以前は飛行機で行くことが多かったんですが、最近は大体新幹線ですね。
    それにしても五木さんは本当にお若いですね。初めて対談をさせていただいた20年前と全然変わりませんよ。

    五木 いやいや、僕も今年(2025年)の秋には93になりますけど、五月雨さみだれ式にあっちこっちに故障が出てきています。それを何とか我流で退治していくのを楽しんでいるんですけどね(笑)。生活は何も変わりません。これまで通りの毎日がそのまま続いている感じです。

    帯津 私は去年88歳になった時に、石原慎太郎さんと大江健三郎さんが同じ88歳で亡くなっているので、お二人に並んだと思ったんですよ。今年は89歳になって、私の好きだった脚本家の山田太一さんが亡くなった年とも並びました。来年はいよいよ90の坂に差しかかるわけですけど、大先輩の五木さんはずっと私の先を歩き続けていらっしゃるから、いつになっても並ばない(笑)。
    90の坂というのはどんなものですか。何かご心境の変化はありますか。

    五木 特別にないですね。年齢の壁なんか全然感じたこともありませんしね。僕らは、ほら、敗戦の時以来、明日のことなんか分からないと思い知らされてきたから、これから先のことはあまりくよくよ考えてもしようがないという主義でね。とにかく90代は、目の前の仕事をちゃんとやろうと思っているんですよ。

    帯津 あぁ、目の前の仕事をちゃんとやる。

    五木 自分の話で恐縮ですが、僕はいま連載を8本抱えていましてね。40代、50代の頃よりうんと仕事が多くて、これをやるだけで毎日があっと言う間に過ぎてしまう。だから年のことを考えている暇なんかないんです(笑)。

    帯津 確かに五木さんの記事はいろんな雑誌で拝見しますが、90を過ぎたいまも連載を8本も抱えていらっしゃるとは驚きです。

    五木 同じものを書くわけにいかないから大変です。読者っていうのは本当によく覚えているものでね。内容が重なると「前にも書きましたよね」って言われるから気が抜けない(笑)。
    『日刊ゲンダイ』というタブロイド紙の連載は、今年で51年目に入りましたが、これまで一回も休まずに書き続けてきました。
    僕は原稿をまとめて書いておくことはしないんです。毎日夜中の零時までに明日の原稿を入れるわけです。ですから体調を崩して救急車で運ばれるなんてことは絶対にできない。だけど本当に不思議ですよね、おかげさまで50年間そういうトラブルは一度もなかったんです。

    帯津 一回も休まずに50年。それは大変な偉業いぎょうですよ。

    五木 原稿をストックしなかったのがよかったと思います。ストックしておくと気持ちがゆるみますから。同じリズムでずっと続けることがとても大事だと思います。平凡なことですけれどもね。

    帯津 かいばらえきけんの『養生訓ようじょうくん』に「家業に励むことが養生の道」とあります。家業というのは生業なりわいのことですが、打ち込む仕事があることが五木さんの元気のけつなんでしょうね。

    五木 原稿を書きながら、きょうはあまり面白くないなとか、いろいろ思うんですけど、とりあえず書く。とにかく休まないっていうこと、これがいまのモットーというか、90歳を過ぎてから意識していることです。

    作家

    五木寛之

    いつき・ひろゆき

    昭和7年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、戦後引き揚げる。27年早稲田大学露文科入学。32年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、41年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、42年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、51年『青春の門・筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は平成13年度『BOOK OF THE YEAR』(スピリチュアル部門)に選ばれた。14年菊池寛賞を受賞。22年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。日本藝術院会員。

    いまこの瞬間に集中して

    五木 昨夜、帯津さんがお書きになった『ときめいて大往生』を拝読しましたが、いやぁ痛快な本ですね(笑)。「医者の言いなりになるのをやめてみる」とか「偏食へんしょくバンザイ!」とか、普通の人がそんな突飛とっぴなことを言っても感心しないけれども、帯津さんのような医学の専門家が書かれると本当に愉快ゆかいだし、読んでいると老いや死が明るく、気持ちよいことのように感じられてきます。老病死についていろいろ悩んでいる人にとってみれば、ガツンと後ろから頭を叩かれるような、そういう励ましをもらえる本ですよね。実に面白かった(笑)。

    帯津 ありがとうございます。89歳のいま思っていることをそのままつづりました。

    五木 帯津さんのご本を読むといつも感じるのですが、一筋の道をずっと歩き続けていらっしゃいますね。

    帯津 医療の道を歩き続けて63年になります。もともとは外科医としてがん治療の現場で活動していましたが、体の悪い部分だけを見る西洋医学の限界を痛感しましてね。1982年に独立して帯津三敬病院を開業し、心や魂も含めた人間の丸ごとを見て、西洋医学だけでなく、代替療法、伝統療法なども活用して患者さんの命をサポートするホリスティック医学に取り組んできました。

    五木 最近はどんなふうに一日を過ごされているのですか。

    帯津 朝は3時半に起きます。4時50分にタクシーが迎えにくるので、それに乗って病院に入ります。病院には2分で着くので歩いてもいいんですけど、病院のスタッフが転ぶのを心配してタクシーを頼んでくれましてね。それに乗って4時52分くらいに病院に入るんです。それから一日病院で過ごして、夕方の5時半に仕事を切り上げてばんしゃくを始めるんです。

    五木 お酒は変わらず続けていらっしゃるんですね(笑)。

    帯津 病院を開業して43年になりますが、飲まない日は1日もないですね(笑)。昔は病院の食堂でよく飲んでいたんですけど、皆が働いている所で飲むのはよくないというんで、いまは自宅で飲むのが週に1、2回。あとは懇意こんいにしている居酒屋さんとか鰻屋うなぎやさんで飲んで、大体夜の8時には家に帰って、9時にはもう寝てしまいます。まぁとにかく働くのと飲むのが好きですから、死ぬまでそれでいこうと思っています(笑)。

    五木 お酒の量は変わりませんか。

    帯津 若い時と同じだけ飲んでいます。飲む場所によって多少変わりますが、生ビールを中ジョッキで2杯飲んで、それからウイスキーのロックを3杯。これが私の標準で、それ以上無理して飲むことはありませんね。飲まない日は1日もないけれども、二日酔いも1回もない。ちょうどよく飲んでいるんです(笑)。

    五木 太極拳たいきょくけんはまだ続けていらっしゃるのですか。

    帯津 ええ、毎朝1回だけやるんです。朝6時10分になると病院の道場へ行って、よろけても間違っても知らん顔で、パパッとやって帰ってくる。太極拳はあの世へ行ってからが勝負だから、この世では慌てずにやろうと思っているんです。

    五木 あの世に行ってからが勝負。

    帯津 太極拳は武術ですから、これでいいっていう境地はないんですよ。そうするとこの世だけでは結果が出ないので、あの世へ行ってもやらなきゃいけない。だからこの世では上手くやろうと慌てることもなく、淡々と、いまこの瞬間に集中してやる。一期一会いちごいちえの太極拳と言っているんです。

    帯津三敬病院名誉院長

    帯津良一

    おびつ・りょういち

    昭和11年埼玉県生まれ。36年東京大学医学部卒業。東京大学医学部第三外科医局長、都立駒込病院外科医長を経て、57年帯津三敬病院を開業。平成16年帯津三敬塾クリニックを開設。体だけでなく、心と命も含めた人間まるごとを診るホリスティック医学を提唱。著書に『素晴らしき哉、80代』(ワニブックス)、『人生100年時代を楽しく生きる』(春陽堂書店)『ときめいて大往生』(幻冬舎)など多数。