2024年1月号
特集
人生の大事
対談1
  • 作家五木寛之
  • 愛知専門尼僧堂堂頭青山俊董

一大事とは
今日只今の
心なり

一大事とは今日只今の心なり。江戸期の禅僧・正受老人の言葉である。とかく過去や未来に目を奪われ、大切な足元を疎かにしてしまいがちな我われ凡夫への尊い戒めといえよう。この名句と同様に、作家として、尼僧として、それぞれの立場から人々に多くの示唆を与えてきたのが五木寛之氏と青山俊董氏である。共に90代の坂に差しかかったお二人は、人生の大事をどう捉え、いまをどう生きているのだろうか。

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お釈迦様や道元様からよしといわれるお坊さんに

青山 五木先生と私は同級生のようですが、先生が3か月ほど先輩のようですね。

五木 青山先生は確か昭和8年のお生まれでしたね。

青山 ええ、昭和8年の1月で早生まれなんです。

五木 お互いに90歳越えの対談というのも、珍しいんじゃないでしょうか(笑)。

青山 私はこの4、5年でいっぱい病気をしまして、耳も遠くなり、目も見えにくくなり、頭もボケてきて(笑)。それでも、仏教詩人の榎本栄一さんの「くだり坂にはまたくだり坂の 風光がある」という言葉にならって、下り坂の風光を楽しんでいるんです。

五木 私も以前『下山の思想』という本を書いたことがあります。人生の前半は必死で山頂を目指すばかりで、他のことを考える余裕もありませんけど、後半生では昔のことに思いをせたり、それまで目に留まらなかった景色に感動したりしながら優雅に山を下っていくことができる。下山というとマイナスに捉えられがちですが、下山には上りの時には味わえない喜びもあると思うんです

青山 本当にその通りですね。

五木 ところで、きょうはどういうふうにお呼びしましょうか。「先生、先生」と、お互いが国会議員のように呼び合うのはみっともないと思うんですが(笑)。

青山 私は何でも結構(笑)。

五木 ではもう遠慮なく、「青山さん」「五木さん」で。

青山 こちらも「先生」とお呼びしなくてよろしいですか。

五木 全然構いません。実は、デビューしたばかりの生意気盛りの頃に大先輩のぶせますさんと雑誌で対談をして、「井伏さん」と呼んだら編集長にひどく怒られたことがありましてね。対談の前には必ず確認するようにしているんです。

青山 井伏鱒二さんというと、『ちんぴんどうしゅじん』という作品がありますね。私はそのモデルになった美術評論家のはたひで先生と、不思議なご縁で親しくさせていただきました。
大学で学んでいた頃、渋谷でバスを待っていると、私の後ろ姿をジロジロ見ている老人がいるんですわ。バスに乗ったら横に座られて、「私は、しんらんさんとどうげんさんを一番尊敬している。毎朝のお勤めに『しょうぼうげんぞう』を読んでいる」と。びっくりしましてね。いったいこの人は何者かいなと思いながらお話を聞いていたら、「実は毎月、自分のを聴いてもらう会を持っています。よかったら来てくれませんか?」と。ちょうどその日の午後3時だったんです。
人の縁というのは面白いものでして、たまたまその日の午後3時以降の授業が休講になりましてね。ならばということで、お宅へ伺ってみたんです。既に10数人集まってお話が始まっていまして、私がそっと後ろに座ると「僕の友達の青山君です」って紹介してくださって(笑)。秦先生とはそこからのお付き合いでした。

五木 ご本を拝見して感服しましたが、青山さんは随分お付き合いが広いですね。

青山 秦先生は、私が31歳で信州のお寺へ帰って2、3か月経った頃でしょうか、ひょっこり訪ねてこられたんです。「君が若くして山寺へ帰ったから、心配で見に来た」と。
その日はお泊まりいただいて、翌朝お帰りになる時に、私にこうおっしゃったんですよ。
「私は、あんたに世間でちやほやされる人になってもらいたくない。お坊さんならば、おしゃ様や道元様がよしとおっしゃるお坊さんになってくれ。お茶ならば、利休がよしとおっしゃるお茶をやってくれ。そのために、私は生涯あんたの悪口を言う」
と。嬉しかったですね。そんなことで、秦先生とは随分年が違うんですが、えらく可愛がっていただきました。

作家

五木寛之

いつき・ひろゆき

昭和7年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮に渡り、22年に引き揚げる。27年早稲田大学露文科入学。32年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、41年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、42年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、51年『青春の門・筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は平成13年度『BOOK OF THE YEAR』(スピリチュアル部門)に選ばれた。14年菊池寛賞を受賞。22年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。日本藝術院会員。

受け皿が小さければ尊い話も受け止められない

青山 仏道修行のほうでも、私はこれまでさわこうどう老師、すいがん老師、内山こうしょう老師と、本当によきお様にご縁をいただいてきました。そして気持ちとしては、お師家様からいただく10のお話を10全部聴こうという姿勢で一所懸命聴いてきたつもりでおります。
けれども、受け皿が一なら一しか聴けませんのですわな。自分の受け皿を伸ばさなければ、いくら尊いお話をいただいても聴けないわけです。ですから私は、お師家様のお話を一所懸命聴いてきたつもりでも、ほんの一部しか聴いていなかった。その一部でさえも、ちゃんと聴けていればよろしいのですが。
2、30年も前のことですが、化粧品会社から、「美しき人に」というテーマで講演してほしいと頼まれたことがあるんです。

五木 お寺ばかりでなく、化粧品会社の会などにもお話に行かれるのですね。

青山 さすがにその時は、「私の話は塗ったり染めたりの、洗ってげる話じゃありません。毎日をどう生き、目に見えないのみでいかにして美しい人格を刻み続けるかという話ですから、化粧品会社のお役には立ちませんよ」と申し上げたのですが、それでもいいとおっしゃるんです。そしてそこの化粧品を扱っている小売店の店主の皆さんたちに、いかにもその場にそぐわんお話をしたわけです。
すると話し終わって会場から上がった質問が、「先生はどんなお手入れをなさっているのですか?」と(笑)。私は、大切なのは見た目を取りつくろうことじゃないっていうお話をしたんですが、お手入れということを生涯の仕事としている人には、その角度からしか聴いていただけないのだなぁと思ったことです。
私はそこで改めて、わずかでもいい、1年生きたら1年生きただけの受け皿の伸びを持たなければならんと、自分の心に刻んだ次第なんです。

愛知専門尼僧堂堂頭

青山俊董

あおやま・しゅんどう

昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年大本山総持寺の西堂に就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『さずかりの人生』(自由国民社)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。