2024年1月号
特集
人生の大事
トップインタビュー
  • 冒険家三浦雄一郎
何歳になってもいまがスタート

諦めなければ
夢は叶う

冒険家・三浦雄一郎氏、91歳。これまでエベレストに3度登頂を果たし、80歳での登頂は史上最高齢としてギネス世界記録に認定されている。そんな超人的な三浦氏だが、コロナ禍真っ只中の2020年6月3日、100万人に1人といわれる難病に突如倒れた。頚髄硬膜外血腫。首から下が動かせなくなり、要介護4のハンディキャップを負いながらも、懸命なリハビリとトレーニングを積み重ね、2023年8月31日、富士山の頂に再び立ったのだ。その壮絶な闘病と挑戦の軌跡を振り返ると共に、逆境を乗り越える心得や人生100年時代を生き抜く秘訣に迫る。

この記事は約17分でお読みいただけます

11月初旬、北海道札幌市にあるマンションのロビーで待機していると、次男の豪太さんと共に、杖をつきながらゆっくりと力強い足取りで、91歳の三浦雄一郎さんは姿を見せられた。

富士山の頂に立った時の感慨

──3年前に難病を患い要介護4の状態から再起され、今夏90歳での富士山登頂、誠におめでとうございます。

どうもありがとうございます。あの瞬間はやっぱりこれまでの登頂とは違う感動がありました。病を抱えながら、日本一高い山の頂上に遂に再び立ったかと。
私にとって富士山は冒険の原点である特別な存在で、もう50回以上は登っていますが、その中で今回は一番苦労し、不可能かと思うようなところを乗り越えて頂上に立てたものですから、それだけ感慨も一入ひとしおでした。
両足が麻痺まひした状態で富士山に登るというのは、非常に大きな挑戦だったんですけれども、何より支えになったのは息子の豪太や僕の弟子たちをはじめ、40名の仲間がサポートしてくれたことです。
可能な限り自分の足で歩きながらも、血圧計とパルスオキシメーター(血中酸素濃度計)で体調をチェックし、アウトドア用車椅子を併用して仲間の力を借りる形でチームを編成してもらいました。
通常は1泊2日のところを2泊3日の計画を立てましてね。山頂付近は平地に比べて酸素が3割少なくなるので、高山病のリスクもあります。約2年間の準備期間を設け、体力や筋力を取り戻すリハビリや高所の環境に順応するために低酸素室でのトレーニングを重ねてきました。その甲斐かいあって、当日は体調も悪くなく、天候にも恵まれ、ほぼ予定通りに登頂して下山することができたんです。

──特に印象に残っている場面は何ですか?

8月31日午前7時20分頃、富士山頂に到達し、皆に感謝の気持ちを伝え、一緒に万歳をしました。山頂から眺める景色、仲間たちの幸せそうな顔、それはもう格別で、忘れることができません。多くの仲間たちのおかげで90歳の夢をかなえることができ、最高の気分でしたね。周りのサポート、人の力がこんなにも人生を豊かにしてくれるのかとつくづく実感しました。
確かにアウトドア用車椅子との併用については賛否両論があるでしょう。しかし、私にとって今回の登山もこれまでの冒険と本質的にはまったく変わりません。その時、その時における自分の限界を打ち破る目標を常に設定し、そこに挑み続けてきたからです。

──難病を患いながらも、限界を決めずに挑戦していく姿そのものが尊いと感じます。

いま私はここの高齢者専用マンションに暮らしているんですが、レストランとかで住人の方に会うと、「すごかったね」って多くの人が喜んでくれるんです。そのように僕の富士登山を見て、勇気や感動を得てもらえるというのは嬉しい限りですし、それがまた僕自身の生きる力にもなります。
人間は何歳になっても、どんなハンディキャップを背負っても、挑戦することができる。誰だって人生に〝もう遅い〟はない。いつもいまからがスタート。そういうメッセージを伝えられたらいいなと思っています。

冒険家

三浦雄一郎

みうら・ゆういちろう

昭和7年青森県生まれ。北海道大学獣医学部卒業。39年イタリアのスキー競技キロメーターランセに日本人で初参加し、当時の世界スピード記録を樹立。41年富士山直滑降。45年エベレスト・サウスコル8000メートルから世界最高地点スキー滑降。60年には世界7大陸最高峰からのスキー滑降を達成。平成15年70歳でエベレスト登頂、20年75歳で2度目の登頂に成功、さらに25年には史上最高齢の80歳で3度目の登頂を果たす。著書に『65歳から始める健康法』(致知出版社)など多数。最新刊に『諦めない心、ゆだねる勇気』(主婦と生活社)。