2016年4月号
特集
夷険一節
対談
  • 日本を美しくする会相談役鍵山秀三郎
  • 志ネットワーク代表上甲 晃

明日に託す思い

人の心の荒みをなくすため、55年にわたり掃除の実践を続け、世界的な運動へと発展させた鍵山秀三郎氏。その鍵山氏の薫陶を受け、自らの主宰する青年塾を通じ志の高い国づくりに奮闘する上甲 晃氏。ともに実践を通じてこの国の現状をつぶさに見てきたお二人に、日本が直面する問題と、時代を担う人々に託す思いを語り合っていただいた。

この記事は約23分でお読みいただけます

「掃除なんかにどんな意味があるんですか」

上甲 鍵山さんとご縁をいただいてもう30年になりますけれども、私は、初めてお目にかかった時の印象がとても強烈で、いまだにはっきり覚えているんです。
当時、鍵山さんの会社はローヤル(現・イエローハット)という社名で、本社が東京の北千束にございましたね。最寄り駅を出た所で一所懸命掃除をしているおじさんがいたので、「ローヤルはどこですか?」と尋ねると、「すぐそこです」と。「社長にお目にかかりたいのですが」と頼んだら、「私が社長です」。あの時は本当に驚きました(笑)。

鍵山 そうでしたね(笑)。あれは上甲さんが松下政経塾で塾生さんの指導をなさっていた頃でした。

上甲 はい。松下政経塾は、松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助が、我が国を導く真のリーダー育成を目指して、85歳の時に私財を投じて立ち上げました。私は昭和56年に転勤を命じられて松下電器から政経塾に移っていたんです。
経営の神様と謳われた松下幸之助は、自身の体験を踏まえて、経営学を勉強しても経営者にはなれない。経営学に精通するのと経営ができるのとは別だと常々説いていました。そして政経塾でも、君たちは政治学を勉強しただけでは政治はできない。天下の掃除をする前にまず身の回りの掃除をしなさい。身の回りの掃除もできない人間に天下の掃除はできない、と繰り返し塾生に説いていました。
ところが残念なことに、塾生たちは偏差値教育の洗礼を受けた、所謂学歴エリートと言われる人たちばかりでしてね。お掃除が人生の大事な勉強ということが、初めのうちはどうしても理解できないんです。「掃除なんかしてどんな意味があるんですか。意義と効果をちゃんと説明してもらわなければできません」と。私は一所懸命、時に夜を徹して彼らを諭すんですが、ますます泥沼にはまっていく。何で掃除一つするのにこんなに苦労しなければならんのか、というのが当時の偽らざる心境でしたね。
そんな折に、松下電器時代の部下から、「私どものお取り引き先に、お掃除に熱心な面白い経営者がいらっしゃるんですが、一度会ってみませんか?」と紹介されたのが、鍵山さんでした。
ですから、あの時もし政経塾の塾生たちが最初から素直にお掃除をしていたら、たぶん鍵山さんにお目にかかる機会はなかったでしょう。そう考えると、鍵山さんにはとても深いご縁を感じるんです。

鍵山 私も同じ思いです。
上甲さんのご苦労には同情を禁じ得ませんでしたけれども、ああいう混乱が起こっていたのは、塾生の皆さんの目標が小さかったからだと私は思うんです。早く国会議員になって名声を得たいとか、そんな程度のことしか頭になくて、この国をどうしよう、この社会をどうしようといった志がなかった。そういう大きな目標をしっかり持っていれば、何をすべきかは自ずと見えてくるはずで、掃除の大切さもすぐに理解できたと思うんです。けれども目標があまりにも低く、小さかったがために、理解の範囲を超えていたわけです。
私が若い人によく言うのは、目標さえ定かなら、手段や方法は自ずから湧いてくるということです。自分の思いに突き動かされてやることは強いですけれども、人から言われて仕方なくというのでは、とてもやっていられないでしょう。

上甲 あの時、鍵山さんに早速掃除の実践を見せていただきましたけれども、本当に目から鱗でした。そして、政経塾の塾生が掃除をしない一番の理由は、指導する私自身が分かっていなかったからだということを痛感させられたんです。とにかく鍵山さんのひと言ひと言に、実社会で通用する本当の勉強とは何か、本当の努力とは何かということを教えられました。
特に強烈だったのが、政経塾のパンフレットに塾生たちが掃除をしている写真を載せていたのを、鍵山さんはじっとご覧になって、
「政経塾が掃除を大事になさることは素晴らしいことです。しかし、これではダメです」
とおっしゃったことです。人に言われて嫌々やっていることが明らかで、心が伴っていないことを指摘されて、形ばかり一所懸命取り繕おうとしている自分の努力の浅はかさを、痛切に思い知らされました。やはり人から言われて仕方なくやる掃除と、自ら発心してやる掃除とは全く違うんですね。

鍵山 それはもう、箒を持った瞬間にその人のすべてがそこに表れますからね。大切なことは、いま自分がやっていることに意義を感じているかどうかです。

上甲 その後、鍵山さんには政経塾でご指導いただくようになり、塾生たちもだんだん掃除ができるようになりましたが、それは私が少しずつ理解するようになったからに他ならないと思うんです。
私は鍵山さんとの出会いによって、人生に対する目が大きく開かれたのを実感しています。

鍵山秀三郎

日本を美しくする会相談役

かぎやま・ひでさぶろう

昭和8年東京都生まれ。27年疎開先の岐阜県立東濃高等学校卒業。28年デトロイト商会入社。36年ローヤルを創業し社長に就任。平成9年社名をイエローハットに変更。10年同社相談役となり、22年退職。創業以来続けている掃除に多くの人が共鳴し、近年は掃除運動が内外に広がっている。日本を美しくする会相談役。著書に『凡事徹底』『あとからくる君たちへ伝えたいこと』など多数。最新刊に『志を継ぐ』(いずれも致知出版社)がある。

12年で兆しが見え20年で定着する

上甲 鍵山さんが55年前の創業当初、たった一人でお始めになった掃除の実践は、やがて全社に浸透し、いまでは「日本を美しくする会」という運動に発展して日本はもとより世界各国へも広まっていますね。鍵山さんが掃除という、一見経営とは無関係に思われることに取り組まれたのは、どういういきさつがあったのですか。

鍵山 創業当初、私の会社に来てくれるような人はどこへ行っても長続きせずに、方々渡り歩いて心が荒み切っている人ばかりでした。この人たちの心をどうやって穏やかにするかということが、私に課せられた最大の課題だったのです。

上甲 社員さんがゴミ箱を蹴飛ばしたりして、そういう荒んだ社内の雰囲気が嫌で嫌で堪らなかったとおっしゃっていましたね。

鍵山 ところが、口で言っても直らない、文章で示しても伝わらない。だとしたら、もうこれは環境を綺麗にして、伝えるべきことが伝わりやすい状況をつくり出すしかないと思ったわけです。
ところが、私が手掛けた商売はカー用品の販売なんですが、当時は業界全体が汚く、荒っぽい状態でしてね。何でうちだけそんなことをするのか、とそれは大変な反発を喰らってしまいました。

上甲 それで、最初はたった一人でお始めになったわけですね。社員さんは誰も見向きもせずに、中には鍵山さんが掃除する手をまたいで通る人までいたと。

鍵山 やれと言ってやってくれる状態じゃないんです。もし私が意に沿わないことを言ったら、すぐ辞めてしまう。酷い時には、昼ご飯を食べに行ったまま帰ってこないこともざらでしたからね(笑)。
そういう荒れた社員でしたから、会社の車で出掛けて行っても、小さな事故をよく起こしてきました。大事故ではないんですけど、あちこちぶつけては凹ましてくるんです。これも、気をつけろと言って直るものではありませんから、私は毎日綺麗に車を洗いました。雨が降っても欠かさず続けました。
そうして来る日も来る日も掃除の実践を続けるうちに、会社が激変していったのです。それで私は確信しました。綺麗にすることは偉大な力を持っていると。ですから人から何を言われようとも、私は決して掃除をやめようとは思わなかったわけです。

上甲 しかし、そうなるまでには随分時間がかかったそうですね。

鍵山 そうですね。昭和36年に始めて、やや兆しが見え始めたのが昭和48年でした。

上甲 12年……うーん。

鍵山 それでもまだ、ようやく分かってくれるようになったと思うとまた辞めてしまう。それの繰り返しでした。それが昭和50年代に入ってやや定着してきましてね。そうしたら、別に私が掃除のことを外でお話ししているわけでもないのに、掃除を教えてほしいと他所の方が訪ねてこられるようになりました。そうなると、社員も自分たちのやっていることに自信を持つようになって、20年経った頃にはかなり定着してきました。上甲さんがお越しになったのも、ちょうどその頃でした。

志ネットワーク代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『志を教える』など多数。最新刊に『志を継ぐ』(いずれも致知出版社)がある。