2019年4月号
特集
運と徳
対談
  • (右)東洋思想研究家、イメージプラン社長田口佳史
  • (左)サンリ会長、日本能力開発分析協会会長西田文郎

天運を呼ぶ生き方

東洋思想に基づくリーダーシップ論の第一人者として知られる田口佳史氏と、日本におけるイメージトレーニング研究・指導のパイオニアである西田文郎氏。その手法は違えども、共に数多くの人財を育成してきたお二人の話には通底する部分が多い。運と徳の関係とはいかなるものか。そして、天運を呼ぶ生き方とは――。

この記事は約30分でお読みいただけます

脳をコントロールして脳梗塞を克服

西田 普段は滅多に緊張しませんけど、きょうは田口先生に初めてお会いできるというので、とても緊張しています(笑)。

田口 いやいや(笑)、私も楽しみにしてきました。

西田 私はちょうど4年前、66歳の時に脳梗塞のうこうそくわずらいました。症状が割とひどかったもんですから、いまこのように話をさせていただいたり、杖もつかないで歩けるようになったりしたのは、やっぱり40年以上にわたって脳の研究をしてきたからだと思うんですよ。

田口 ああ、脳の研究をされていたから助かった。

西田 東京のオフィスで倒れたんですけど、幸い目の前が病院だったので、すぐ入院しました。倒れた時にろれつが回らなくなって、歩けなくなりましたから、このまま寝たきりになったらまずいと思いましてね。そこから究極のリハビリをやるんです。

田口 究極のリハビリですか?

西田 お医者さんは「絶対安静にしてください」って言ったんですけど、筋繊維きんせんいが固まってしまうとその後でいくらリハビリをしても、ある程度以上の回復はない。そう思いましたから、ちょっとお医者さんに逆らって(笑)、入院した日から、くほうの手で足をマッサージしたりしていました。
数日後、理学療法士のところに行った時に、脳梗塞の人って普通は足が冷たくなっているはずなんですね。それが私の足は温かいと。「どうしたんですか」って聞かれたので事情を話したら、「それは正解です」って言われました。

田口 応急処置が的確だったのですね。

西田 一方、周囲を見渡すとリハビリをやっている人たちが誰一人笑っていないんですよね。私は脳のことをやっていますから、このままでは悪くなってしまうと。
脳は三層構造になっていまして、一番外側にあるのが大脳新皮質だいのうしんひしつ(知性脳)で、左脳(分析や判断することが得意な理屈脳)と右脳(イメージ処理を得意とする直感脳)に分かれています。2層目は大脳辺縁系だいのうへんえんけい(感情脳)といって、喜怒哀楽や快・不快といった感情をつかさどっています。そして、一番奥に脳幹のうかん(反射脳)がある。ここは本能を司り、必要に応じて様々なホルモンを出し、生命活動を維持しています。この3層が連動して働いているわけです。
いつも研修で「知っているとできるは違う」って話をするんですけど、知識はあっても結果を出せない人って世の中にたくさんいるじゃないですか。これはなぜかと言うと、感情脳が「よし、やるぞ」ってなっていないからです。

田口 本気を出せていない。

西田 モチベーションを上げる鍵を握っているのが、感情脳にある1.5センチの扁桃核へんとうかくというところなんですね。この扁桃核をコントロールすることが重要で、ここが好き、嬉しいという快の感情を抱くと、脳幹からプラスのホルモンが分泌ぶんぴつされる。反対に、嫌いとかつらいとか不快な感情になれば、マイナスのホルモンが分泌されてしまう。それはうそでもいいんです。絶対にうまくいく、絶対によくなるって嘘でも思い込むと、肯定的な感情が満ちあふれてくる。
ですから、私は意識的に明るくニコニコしながらリハビリに励んでいました。そうしたら、1か月くらいで杖をついて歩けるようになり、半年後には普通に歩ける状態にまで回復したんです。

田口 それはすごい。脳梗塞の方に希望を与えるお話ですね。

西田 これまでたくさんのトップアスリートを指導してきて、オリンピックで金メダルを取るのも大変な努力が必要だと実感していますけど、脳梗塞という希望のない状態からモチベーションを上げ、回復させるのもまた、ものすごく壮絶な闘いですよ。
入院されている方の中には私より若くて症状も軽いのに、諦めている方がいました。あきらめちゃったらもう全然よくなりません。私はかなり負けず嫌いな性格で、早く仕事に復帰したいって気持ちだけで頑張っていました。最後はどれだけ強烈な一念を抱いているか、それしかないですね。

東洋思想研究家、イメージプラン社長

田口佳史

たぐち・よしふみ

昭和17年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、日本映画新社入社。47年イメージプランを創業。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者として知られる。著書に『人生に迷ったら「老子」』『横井小楠の人と思想』(ともに致知出版社)など多数。

どん底から救ってくれた『老子』の教え

田口 実は私も25歳の時に、何度もあの世へ行くっていう体験をしたんです。千日回峰行せんんいちかいほうぎょうを2度満行された故・酒井雄哉ゆうさいさんの本を読んでいたら、あの世に行ったりこの世に戻ってきたり、要するに生死の境界をへだてないで行き来することが修行だと。
私もまったく同じように、あの世とこの世を行き来しました。それは非常に辛い体験でしたけど、従って25歳以降はもうお釣りで生きているっていうか、本当に生かされているなと感じています。

西田 どのような体験をされたのですか?

田口 私は幼い頃から無類の映画好きで、大学卒業後は日本映画新社に入社しました。記録映画の撮影で、バンコク郊外の長閑のどかな農村におもむいたのが25歳の時です。
辺り一面に水田が広がる農家の庭先に、和牛の2倍ほどある巨大な水牛が2頭いましてね。その水牛に目を奪われ、何としてもカメラに収めたいという思いで近づいた途端、穏やかだった水牛が突如たけくるって突進してきたんです。

もう逃げる余裕など、一切ありませんでした。凄まじい衝撃と共に空中に突き上げられ、地面に叩き落とされ、それでも水牛の攻撃はやまない。猛々しい角に何度も体を突かれて肉は裂け、骨も砕け、内臓が飛び出しました。同行した撮影スタッフたちは足がすくんで、ただその惨状を見守るしかなく、地獄のような猛攻は15分くらい続いたそうです。
ようやく水牛が離れていくと、私はすぐさま病院へ運び込まれ、手術を受けることになったんですけど、それから数日間、私は生死の境を彷徨さまよい続けました。幸いにして、水牛の角による裂傷れっしょうが動脈と脊髄せきずいからほんの少し外れていたおかげで、何度も死の宣告を受けながらも生きながらえることができたんです。

西田 まさに九死に一生を得たわけですね。

田口 ですから、いまだに呼吸すると神経がれて痛い。こう見えても重度の身体障碍者なんです。

西田 全く後遺症を感じさせないほど、お元気そうですよね。

田口 よく言われます。だから、みんな私に対していたわりがないんですよ(笑)。実際は一所懸命つくろっている。

西田 私も同じです(笑)。

田口 間断ない激痛と死に対する恐怖に襲われる中、私を救ってくれたのが『老子ろうし』でした。事故のことを伝え聞いた在留邦人の皆さんがいろんなものを差し入れてくださって、その中に『老子』があったんです。
漢語の原文だけで読み下し文や解説はついていませんでしたが、まるで乾いた土地に水が染み込むように、その言わんとするところが頭に入ってきました。

西田 特に感銘を受けた教えは何ですか?

田口 それは「生死論」ですね。老子が説いているのは、私たちはもともと宇宙の根源であり、万物の生みの母親である「道」にいたのだと。生きるとはその「道」を出ることであり、やがて折り返し点を過ぎ、再び「道」に入ることを死という。私たちの本当の故郷はこの世ではなくあの世にあり、「道」は故郷の母親である。要するに、死とはその故郷の母親の懐に帰ること。
そう理解した時から、死に対する恐怖が徐々になくなって、退院し帰国することができたんです。いまだに私は「道」に助けていただいていますし、年を取れば取るほど、『老子』が説いている宇宙の仕組みが見えてくるので、非常に面白いですよ。

サンリ会長、日本能力開発分析協会会長

西田文郎

にしだ・ふみお

昭和24年東京都生まれ。40年代から科学的なメンタルトレーニングの研究を始め、「スーパーブレイントレーニング」を構築。55年サンリ創業。経営者やビジネスマン、トップアスリートの能力開発指導に携わる。著書に『№1理論』『天運の法則』(ともに現代書林)など多数。