2019年10月号
特集
情熱にまさる能力なし
対談
  • (左)草喰なかひがし店主中東久雄
  • (右)瓢亭第14代当主髙橋英一

料理で掴んだ人生の妙諦

京の都に食通を唸らせる日本料理の名店がある。茶店をルーツに400年もの歴史を刻んできた瓢亭は、日本はもとより世界からも注目を集めている。野の草や旬の野菜を生かした独創的な料理を提供する草喰なかひがしは、京都で1番予約の取りにくい店ともいわれている。両店を営む高橋英一氏と中東久雄氏はかねて昵懇の間柄。料理の道に情熱を傾けるお二人の率直な語らいを通じて、一流の条件を探った。

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奇抜なことはするな

中東 髙橋さんとは長いお付き合いで、瓢亭ひょうていさんにも何度もお邪魔しておりますけど、こちらのお部屋に入らせていただくのは初めてです。

髙橋 あ、そうでしたか。ここは平成12年に改築したんです。屋根があかんようになったので、他の古くなった所もいったん全部つぶしてね。
せやけど特別に高級な感じというのはないでしょう。うちはもともと茶店を営んでいたこともあって、あまり華やかにはせんのです。先代の父からも「奇抜なことはするな」「お客様にホッとしていただくことが大事やから、決して贅沢ぜいたくなものを入れたらいかん」としょっちゅう言われてきました。

中東 若い頃に、そういう髙橋さんの下で勉強させてもらって本当によかったと思っています。それまで兄の吉次よしつぐが始めた料理旅館の美山荘みやまそうで手伝いはしておりましたけど、まともに料理を習った経験はありませんでした。ですから、瓢亭さんが渋谷にお店を出された時に3か月ほど入らせていただいたのが、唯一の修業だったと思っているんです。

髙橋 昭和47年やったね。

中東 そうです。生前、髙橋さんと懇意にしていただいていた兄から、勉強を兼ねてお手伝いをさせていただくようにと。ちょうどご長男の義弘さんがお生まれになった時で、髙橋さんは「息子ができたーっ!」って大喜びなさっていました(笑)。
兄に付き添われて東京の瓢亭さんの寮に伺った時は、大部屋の隅で寝起きさせていただくつもりでいたら、社長の髙橋さんと同じ部屋にまっさらな布団を用意してくださっていましたね。若さっていうのは恐ろしいもので、遠慮もせずに3か月間ご一緒させていただいたわけですが(笑)。

髙橋 よう覚えているね。すっかり忘れてた(笑)。

中東 私にとってはかけがえのない3か月でしたからね。
毎朝6時に地下鉄の銀座線で築地まで買い出しにご一緒させていただいたのは、とても貴重な体験になりました。師走の忙しい時期でしたから、手押し車で魚を運ぶ業者さんに「ウロウロすんな!」と怒鳴られたり、帰りに出入りの八百屋さんの車で紀尾井町きおいちょうの福田屋さんの配達に寄らせていただいて「すごい料亭やなぁ」と感動したり、とにかく見るものすべてが新鮮でした。
その頃の私にお手伝いできるのは鍋洗いくらいでしたけど、たまたま私と同い年のスタッフの方が盲腸で手術されることになって、八寸場はっすんば(盛り付け)のお手伝いもさせていただくことができました。あの3か月間で学ばせていただいたことは、いまでも私の料理の基本になっています。

瓢亭第14代当主

髙橋英一

たかはし・えいいち

昭和14年京都府生まれ。同志社大学卒業。東京と大阪で3年間修業。39年より瓢亭勤務。42年瓢亭第14代を継承。料亭として、また流派を超えた様々な茶事懐石に携わる料理店として暖簾を守る。平成4年京都府優秀技能者表彰(京都府の「現代の名工」)受賞。19年厚生労働大臣卓越技能者表彰(国の「現代の名工」)受賞。22年黄綬褒章受章。25年京都府指定無形文化財保持者認定。30年旭日小綬章受章。著書に『京都・瓢亭─懐石と器のこころ』(世界文化社)『懐石入門』、監修に『懐石料理基礎と応用』(共に柴田書店)ほか。

謙虚に謙虚に

中東 自分で美山荘を立ち上げた兄は、400年以上の歴史を刻んでこられた瓢亭さんのことをずっと意識しておったようでしてね。やっぱり伝統の力には勝てない。髙橋さんが400年以上もの伝統を守っておられるのがいかに大変なことかとよく申しておりました。

髙橋 うちが料理屋になったのは1837年、天保8年8月15日でした。それまで南禅寺へお参りをする方のために茶屋を営んでいた名残なごりで、私が子供の頃は表に床几しょうぎを出しておりましてね。通りすがりの人がそこでよく一服しておられました。先ほど、うちはあまり贅沢にはせんと申しましたが、うちの料理の特徴をひと言で表現するなら、お茶の心のある料理と言えるでしょうな。

中東 あぁ、お茶の心のある料理と。

髙橋 要するに、旬の素材をおいしく料理する。私どもはその当たり前を貫いてきたといえるでしょう。
松下幸之助さんがうちの料理を随分気に入ってくださっていましたけど、そういう派手さがないところがよかったみたいですね。ご自宅が近くだったので、「きょうは何がある?」とお電話で晩のおかずをご注文いただくこともありました。川魚がすごくお好きで、ごりの炊いたものとか、アマゴの唐揚げとか、そういうものをよくお持ちしたものです。
あんなに偉い方ですけど、実に謙虚で質素な方で。母はそういう松下さんをものすごく尊敬していたものですから、私も松下さんのことをよう引き合いに出されて、とにかく偉そうにしたらあかん、謙虚に、謙虚にと言われて育ってきました。

中東 渋谷のお店でお世話になった時に特に印象に残ったのが、髙橋さんがお客様を見送られる時の姿勢でした。とにかく腰が低くて、本当ににこやかな笑顔で送り出される。その姿勢はいまでも変わりませんね。

髙橋 もともと弱虫でね、誰ともよう喧嘩けんかをせんのです(笑)。そやから出しゃばったこともようしませんし、常に一歩引いてるようなところがありました。
けど、こと料理に関しては子供の頃から好きでしてね。自分が進む道は料理以外にないと、決めていたようなところがあったんです。親からは、店が忙しかったら試験中でも構わず「おい、手伝え」と言われましたけど、私はこれ幸いと勉強を放り出して手伝ったものです。「学校を出たら修業に行かなあかんのやで」って言われてましたけど、そんなことは当たり前やと思って全然嫌な気もしませんでした。とにかく調理場の雰囲気というのがすごく好きやったんです。

中東 お若い頃は、東京と大阪で修業なさっていたそうですね。

髙橋 3年間修業に出ていました。東京でお世話になったのは、毎日100人規模の宴会が催されるような大きな料亭でした。その後入れていただいた大阪のお店は、家族と従業員が3人ほどの小さなお店で、また違った勉強をさせてもらいました。
ただ、うちには瓢亭の料理という垣根があって、その中で仕事をしておりますからね。たまにそこから片脚を出して、ちょっと変わったことをしてみるのはええけど、両脚を出してしまったらいかん。それでは瓢亭の料理ではなくなってしまうと、若い頃から心の中で自分をいましめているところがありました。そやから、よその料理を見て気持ちが揺らぐことはありませんでした。
ただ、人にまれて修業することは大事やという思いがありましたから、他人と同じ釜の飯を食べながら自分を磨かせていただいたんです。

草喰なかひがし店主

中東久雄

なかひがし・ひさお

昭和27年京都府生まれ。摘草料理で知られる料理旅館「美山荘」で生まれ育ち、少年期から家業の手伝いに勤しむ。高校卒業後、本格的に料理の道に入り美山荘に27年間勤務。平成9年に独立して「草喰なかひがし」を開業。24年農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞、29年同シルバー賞、28年京都和食文化賞受賞。著書に『草菜根―そしてご飯で、ごちそうさん』(文化出版局)『おいしいとはどういうことか』(幻冬舎新書)。