2023年1月号
特集
げずばやまじ
インタビュー①
  • 恵那川上屋社長鎌田真悟

地域第一級の銘品づくりを
日本全国へ

国民生活の基盤たる一次産業の衰退は著しく、農家の減少にも歯止めがかかっていない。かつて栗菓子の里と呼ばれた岐阜・東美濃地域も例外ではなかった。そんな故郷で農商工の連携を主導、〝日本一〟の栗ブランドを育てたのが、恵那川上屋社長の鎌田真悟氏だ。現在その手法を国内外で根づかせるべく奔走する氏の、やみがたい銘品づくりへの思いに迫った。

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地域最後発店の栗ブランド化戦略

——地元農家と協力し、日本一の栗ブランドを確立された菓子店があると知ってにまいりました。平日昼間とは思えないほど、お店がお客さんであふれていますね。

実は、うちはこの東美濃みので一番後発の菓子店なんです。
隣の中津川市の老舗しにせ菓子店・川上屋で工場の番頭をしていた父の鎌田満が、暖簾のれん分けを許されて、1964年に小さな店を持ったのが始まりです。私が入った頃は年商1億円の会社でしたけど、皆で30年頑張ってきて、おかげさまで30億円の事業になりました。

——30倍に成長させた。名物の栗きんとんやモンブランをいただきましたが、栗の味わいが実に濃厚で、人気に納得しました。

ありがとうございます。
当社の商品の主な原料が、私共が中心となって展開してきた地域ブランド「超特選恵那栗」です。14品種が認定を受けている恵那栗のうち、厳格な栽培条件と出荷条件をすべてクリアし、選果された実が超特選に分けられます。
栗って、収穫したそばからどんどん老化していくんです。だからこうして取れた栗は、できるだけ新鮮なうちに、24時間以内に自社で加工してしまいます。

——それがおいしさの秘密ですね。

30年前、地元の栗を使っている店はうちだけでした。でも、後発の店が老舗と同じ材料を使っていたら、同じ物しかできません。そう考えたことが、恵那栗のブランド化に着手した理由の一つです。そのように老舗とは〝逆〟の道を行く中で全国の農家とつながり、徐々に恵那川上屋「らしさ」が確立してきたように感じます。

——初めからそうした明確な志を持って家業に入ったのですか。

地元の高校を卒業し、初めは菓子職人として東京の菓子店で修業を積んでいました。父からは「5年かかるぞ」と言われましたが、「3年で卒業できるように考えてやってみます」と答えて。
どうしたかと言うと、まず朝一番、4時に店に行く。夜明け前から工場のゴミを出し、自分の仕事を前倒しで済ませていきます。すると、昼くらいでやるべき仕事は終わるんですね。これで隣の人の仕事を奪う余裕ができます。勤務が終わった後も、工場の床を流したり容器を洗ったり、人の嫌がることを率先してやりました。

——10代からそんな積み重ねを。

常に頭にあったのが、父が大事にしていた3つの教えです。

1、人の嫌がることを率先して行いなさい
2、勉強をしなさい
3、自分から挨拶をしなさい

父は中学を卒業し、川上屋ででっぼうこうしていた頃、嫌になって一度夜逃げしたそうです。その道すがら中学の恩師に捕まり、この教えを懇々こんこんと諭されたといいます。
父はそこから心を入れ替え、店の便をこえめに運ぶ仕事を毎朝懸命にやり、仕事の合間で簿記などを勉強し、誰にでも自分から挨拶するようになりました。それが社長の目に留まって工場長に上り詰め、暖簾分けで創業したんです。

恵那川上屋社長

鎌田真悟

かまだ・しんご

昭和38年岐阜県生まれ。中津商業高校卒業後、和洋菓子製造の修業を経て61年ブルボン川上屋(現・恵那川上屋)入社。平成10年代表取締役。同年「超特選栗部会」を発足、16年農業生産法人恵那栗を設立するなど、特産物づくりを通じた地域振興に多方面で尽力。27年明治大学専門職大学院修了。近著に『栗が風を運んだ』(永末書店)がある。