2025年5月号
特集
磨すれども磷がず
インタビュー③
  • サスエ前田魚店代表前田尚毅

かくして
日本一の鮮魚店を
つくってきた

独自の技によって、大衆魚を高級魚に勝るとも劣らない味わいに仕立てる名人がいる。サスエ前田魚店代表の前田尚毅氏だ。店舗は静岡県焼津市に一つのみ。氏は地域住民に愛される町の魚屋としての顔を維持しつつ、国内外の一流料理人がこぞって仕入れを希望する世界的名店に育て上げてきた。一匹の魚に命を懸け、試練を越えてきた不屈の半生に迫る。

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魚の温度と人の温度

──静岡・焼津やいづに国内外から注文が殺到する鮮魚店があると聞いて伺いました。一見どこにでもありそうな「町の鮮魚店」が世界中から注目を集める理由はどこにあるのでしょうか。

サスエ前田魚店うおてんは1960年、静岡県焼津市で創業した老舗しにせの魚屋です。初代・前田英逸えいいつから数えて、私で五代目になります。創業以来、鮮度がよくおいしい魚をリーズナブルな価格で提供し続け、地元の住民や飲食店に長らく愛されてきました。
飲食店の取引先は国内外に100軒ほどを数えますが、販売先を県外に広げたのはつい14年ほど前のことです。ミシュラン三ツ星店をはじめ一流料理人にも重宝される理由は、魚の旨味を極限まで引き出す「仕立て」の技にあります。うちが主として扱っているのは、あじいわしなどのいわゆる大衆魚なんです。けれども、この仕立てによってどんな大衆魚も高級魚に劣らぬ味に昇華させることができます。
高級魚は確かにおいしいですよ。でも、50円の鰯が1万円の魚を負かしたらすごくないですか? それを狙いたいんです。

──大衆魚を高級魚と同等に仕立てる技。具体的にどんな工夫をされているのですか。

ポイントは魚体の水分量と温度を適切に管理することです。特殊な塩を振って余分な水分を抜く工程を「脱水締め」と呼んでいます。この脱水によって魚の旨味が増し、臭みが取れて鮮度を保ちやすくなります。
さらに重要なのが、「冷やし」です。魚は10℃から20℃、深海魚になればそれよりも冷たい海水に生息していますから、常温は魚にとって灼熱しゃくねつにさらされたのと同等のストレスになるんです。鮮度を保つためには温度管理が必須で、うちの店では魚種、魚体に合わせて、100通りを超える冷やし方を用意しています。

──あぁ、100通りも。

でも、魚の温度よりもよっぽど大切なものがありますよ。それは人の温度です。世の中にどんなに高価でうまいもんがあふれていても、結局一番は、おふくろの手料理じゃないですか? カレーをつくる時、この子は野菜が嫌いだから溶けるくらいまで煮込んであげようとか、気持ちが入りますよね。そこにおいしさがある。結局最後は人間のぬくもりなんです。
だからうちは、漁師や料理人との関係性をものすごく大切にしています。魚を獲る人がいて、きれいにしておいしく売る人がいて、料理をする人がいる。それらが一つの気持ちで結ばれることで、哲学では絶対に測れないおいしさが生まれるんです。

サスエ前田魚店代表

前田尚毅

まえだ・なおき

昭和49年静岡県生まれ。水産高校卒業後、水産会社で荷受けや仲卸しを学び、平成7年家業であるサスエ前田魚店に入社。令和6年に代表取締役に就任。地域に愛される町の鮮魚店としての顔を維持しつつ、県外への販路拡大、寿司やどんぶりの提供など新たな施策を次々に推進。ミシュラン三ツ星の名店をはじめ、国内外の一流料理人から仕入れの依頼が殺到する繁盛店を築く。著書に『冷やしとひと塩で魚はグッとうまくなる』(飛鳥新社)『サスエ前田式 最高に旨い魚の仕立て術』(産業編集センター)がある。