2023年3月号
特集
一心万変に応ず
  • 佛教大学名誉教授清水 稔
自省自修の人

曽国藩の生き方に学ぶ

中国・清末に曽国藩という官僚がいた。太平天国の乱を鎮圧し、洋務運動という中国近代化への道に先鞭をつけた人物だが、その62年の生涯が修養で貫かれていたことはあまり知られていない。修養という一心で激動の時代に向き合った曽国藩の生き方を、中国近代史がご専門の佛教大学名誉教授・清水 稔氏に語っていただく。

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歴史的人物の内面に焦点を当てる

「歴史を見る場合、歴史的人物の行動を動機づけた欲求とは何であったかを知ることで人間の歴史が描ける。それには人物のパーソナリティーを歴史事実の中できちんととらえ評価しなくてはいけない」

これは名古屋大学時代の恩師・故よしひろ先生が晩年よく語っておられた言葉です。

若くて意気盛んだった当時の私はこの言葉をあまり気に留めることもありませんでした。しかし、長年近代中国史を研究してきたいま、しみじみとこの言葉の重みを感じています。人物の内面が時代の流れとどのように関わるかを読み解くことで、出来事(事件・事象)だけでは分からない人間の生きた歴史の全体像が見えてくるのです。中国・しん末の官僚であった曽国藩そうこくはん(1811~1872)は、私にとって人物の内面を捉え直す契機を与えてくれた人物でした。

曽国藩の歴史的評価は人の立場や時代によって大きく異なります。彼は、キリスト教を奉じ万民平等の社会を目指した「太平天国たいへいてんごく」の反乱を鎮圧したことで知られています。これは清朝政府や弟子たちから見れば「中興第一の名臣」と称賛されていますが、民衆の側からは徹底した弾圧者であり「首切り人の曽」と揶揄やゆされています。

一方、彼の内面に焦点を当てると、少年期から自己修養に努め、伝統的な儒教精神に裏打ちされた清廉潔白せいれんけっぱくな官僚としての一面が見えてきます。そのことは、彼が書き留めた日記に如実に示されており、善悪二元論では分からない世界がそこにはあります。本欄ではそういう曽国藩のパーソナリティーを軸として、その人生を振り返ってみることにします。

佛教大学名誉教授

清水 稔

しみず・みのる

昭和20年生まれ。岐阜市在住。名古屋大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専攻は中国近代史・近代日中文化交流史。平成3年佛教大学教授となり副学長など歴任。著書に『曽国藩 天を畏れ勤・倹・清を全うした官僚』(山川出版社)『湖南五四運動小史』(同朋舎)など。