2018年8月号
特集
変革する
インタビュー②
  • 霜里農場代表金子美登

静かなる実践の末に
変革は成し遂げられる

有機農業で挑んだ我が村おこし

周囲を山に囲まれ、美しい自然の残る埼玉県小川町。金子美登氏は、この地にたった一人で起こした有機農業を通じて、地元の農業を変え、さらに現在は未来を見据えた循環型のまちづくりにも取り組んでいる。道なき道を切り拓いてきた金子氏を突き動かし、変革へと導いた思いについてお話を伺った。

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ベストを尽くしたらひたすら我慢

——金子さんは50年近くにわたり、この埼玉県小川町で有機農業に取り組んでこられたそうですね。

はい。私は昭和46年の3月に農水省の農業者大学校を卒業して就農しました。もともと化学肥料や農薬に頼らない農業を志向していたものですから、その年の10月に元農協の一楽いちらく照雄先生が立ち上げられた「日本有機農業研究会」へ参加して、そこで学んだ土壌微生物学をもとに実践を続けてきたのです。

——従来と異なる農法ゆえにご苦労も多かったのではありませんか。

そもそも農業自体がいつもうまくいかないものですからね(笑)。私のところでは60品目くらい作物をつくっていますけど、去年うまくできなかったものがあれば、今年(2018年)はこうしてみようというふうに、常に工夫を重ねながら、ベストを尽くすんです。ベストを尽くしたら、あとはひたすら我慢。安易に化学肥料や農薬に頼らず我慢を重ねていくことで、きょうまでやってきました。
最近は人間の社会経済活動によって地球がどんどんおかしくなってきているでしょう。自然の中で行う農業はもろにその影響を受けていて、昔でしたら村の年配者に聞けばおおむね気候の見通しはついたんですけど、いまはまったく予測できなくなりました。そういう環境の下で農業を営んでいくには、瞬時に判断して手を打っていくことがとても大事になってきています。

——有機農業の普及にも力を注いでおられるそうですね。

8年目から研修生を毎年受け入れてきました。妻帯者には近所に家を借りてもらいますが、独身者は自宅にお預かりして指導するんです。
本来なら農家に技術をお伝えするのが順当なのですが、農家の若い人は農業を継ぎたがらないし、親も子に継がせようとしない。私はよく「切り花国家」という言葉を使うんですが、国を花にたとえれば、最も大事な根は農業です。このまま農業がすたれてしまっては国が枯れてしまいますから、農家の人に限らず農業の後継者を育てたいと考えて、研修生をお預かりするようになったんです。
最初は1年に一人だったのですが、ここ10年くらいはものすごく希望者が増えてきて、いまも6人ほどお預かりしています。これまでに指導した人は国内外合わせて150人に上りますが、中には定年後に農業を始めて農家以上に立派な作物をつくるようになった人や、農家が少なくなり、水路の泥さらいが困難になった村に入り、都会にネットで呼び掛け、大勢の人を集め、水路と水田を復活した人もいます。また、化学肥料や農薬を買うお金のない途上国の方は、それらに依存しない有機農業で活路を開かれてもいます。それぞれの立場で、ここから独立された皆さんがいま、各地で私を超えるリーダーになって活躍してくれているのはありがたい限りです。

霜里農場代表

金子美登

かねこ・よしのり

昭和23年埼玉県生まれ。46年農林水産省の農業者大学校第1期生として卒業。地元で有機農業を始める。現在、霜里農場の経営の傍ら、小川町議会議員、NPO全国有機農業推進協議会理事長、日本農業経営大学校副理事長も務める。著書に『有機・無農薬でできる野菜づくり大事典』(成美堂出版)など。