2022年3月号
特集
渋沢栄一に学ぶ人間学
対談
  • 渋沢史料館館長(左)井上 潤
  • 作家(右)北 康利

渋沢栄一が歩んだ道

2020年に生誕180年、2021年に没後90年を迎え、その生涯がNHK大河ドラマに取り上げられるなど、大きな注目を集めている渋沢栄一。渋沢はなぜ「日本資本主義の父」として歴史に残る偉業を成すことができたのか、渋沢が目指した世界とはどのようなものだったのか。渋沢史料館館長として長年研究に取り組んできた井上 潤氏と、詳伝『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』を刊行した作家の北 康利氏に、渋沢の歩んだ道、そしていま私たちが学ぶべき教えについて語り合っていただいた(写真:渋沢栄一の傘寿【80歳】と子爵に昇格したお祝いを兼ねて、門下生の団体・竜門社より寄贈された「青淵文庫」の前で)。

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没後90年の節目を迎えて

 井上館長、ご無沙汰しております。渋沢栄一の生涯を描いたNHK大河ドラマ「青天をけ」の時代考証、本当にご苦労様でした。

井上 いや、それがまだ終わっていないんですよ。

 え、そうなんですか。クランクアップ(撮影がすべて終了すること)したと聞いたので、時代考証も終わったのかなと……。

井上 11月初旬にクランクアップしたのですが、まだ最終回まで2話残っていますから、以前よりは少なくなったとはいえ、編集関係で毎日のように電話がかかってきます。それから、年明けの総集編、番組が終わった後のSNSでの情報発信についても、内容をチェックすることになると思います。

 ああ、最後の最後まで大変なんですね。とはいえ、2021年は渋沢栄一の没後90年ということで、大河ドラマにも取り上げられ、世間的にも盛り上がって本当によかったなと思います。渋沢の肖像が描かれる2024年の新1万円札の発行まで渋沢フィーバーは続くでしょうね。渋沢史料館も、いろんな記念事業やら企画やらで忙しかったのではないですか。

井上 2020年が渋沢生誕180年、2021年が没後90年という節目の年ではありましたが、両方ともコロナの影響で大きなことはほとんど……。生誕180年を期して展示をリニューアルし、2020年3月にオープン予定だったところにコロナ禍が広まりクローズですよ。それから半年ほどかけて館内の感染症対策を行い、11月にようやく再開しました。
ただ、渋沢が注目を浴びている年でもありますし、普通にオープンしたら人が殺到して密になるんじゃないかということで、完全予約制にしましてね。午前・午後に分けて40人前後の方に入っていただき、当初は週三日しか開けなかったんです。いまは休館日以外は毎日開けていますが、新年からは予約なしで館内をご覧いただけるようにする予定です。

 リニューアルした展示はこれまでのものとどう違うのですか。

井上 常設展示に関しては三つのテーマでやっているんですよ。
一つには、「渋沢栄一を辿たどる」というテーマなのですが、これまでの同様の展示では、資金や収集した史料の制約から編年体で追えるのは前半生までで、後半生はどうしても社会福祉事業や民間外交といったグループに分けて紹介せざるを得ないという状態でした。
しかし今回は、例えば明治6(1873)年に第一国立銀行をつくり、翌年に社会福祉事業として東京養育院の設立に携わるといったように、それぞれの活動が分かる史料を同レベルで紹介し、渋沢の実像がより正確に伝わるようになっています。私が館長になって20年近く経ちますが、これまで集めてきた史料の蓄積がここにきて形になったという感じです。あとは、渋沢の姿を記録した映像もかなり整備されてきていますね。

 渋沢史料館が積み重ねてきたことの集大成というわけですね。

井上 二つには、「渋沢栄一を知る」というテーマで、いまは「渋沢栄一と養育院」「渋沢栄一と国民外交」「渋沢栄一と商業教育」「渋沢栄一と徳川慶喜よしのぶ」の4つのテーマを設定し、渋沢が携わったいろいろな事業や活動、交流を深く掘り下げた展示を行っています。
それから3つには、「渋沢栄一にふれる」というテーマで、渋沢史料館が渋沢の旧邸内に残る大正期の二つの建物「晩香廬ばんこうろ」と「青淵文庫せいえんぶんこ」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館したことをもっと生かしていこうと。渋沢が実際に生活した建物の中で、渋沢の肉声を流したり、渋沢の書や「合本主義」「道徳経済合一」といった考え方に込められた思いが分かる史料を展示したりしています。

作家

北 康利

きた・やすとし

昭和35年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券業務企画部長等を歴任。平成20年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社)で第14回山本七平賞受賞。著書に『日本を創った男たち』(致知出版社)『思い邪なし京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)など多数。近著に『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』(KADOKAWA)がある。

俺がやらねば誰がやる

井上 北さんも、2021年2月に渋沢栄一の評伝『乃公だいこうでずんば 渋沢栄一伝』を上梓じょうしされましたが、とても興味深く読ませていただきました。どのような思いで渋沢の評伝を書かれたのですか。

 私は極めて非効率な仕事をやっていましてね、1年に一冊しか本を書けないんですよ。ですから、いまの時代、いまの日本の状況に対して、自分はぜひこれを訴えたいんだという人物だけをピックアップして本を書くんです。
ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスに「歴史は繰り返す」という名言があります。まさにその言葉の通り、いま新型コロナという黒船がやってきて、日本だけでなく世界中が危機管理体制の巧拙こうせつを試されているわけですが、我が国は世界の国々と比べ、いろんな面において穴だらけであることが白日の下にさらされてしまった。
特にDX(デジタルトランスフォーメーション)においては世界から完全に取り残されていることが分かりましたし、食料自給率やエネルギー自給率も低い。デフレからはいまだ脱却できず、不況と物価上昇が同時に進行するスタグフレーションになろうとしている。さらに日本は地震や台風、洪水など自然災害大国であるにもかかわらず、その対策も万全とはいえない。
これは、渋沢が明治政府に入って直面した時と同じ状況なんですね。明治日本は欧米と比べていろんな面で穴だらけ、技術も制度も遅れていると。そして渋沢は明治政府に改正がかりを設けて、日本の近代化に邁進まいしんしていくわけです。
詳しくは井上館長とこれから話をしていきたいのですが、そういう意味で、いま渋沢の生涯や取り組みに光を当てるのは時宜じぎかなっている。そう思って今回、評伝を書かせていただいたんです。

井上 いまの日本には、渋沢のような人物が求められるということですね。

 あと、なぜ本のタイトルに渋沢の言葉でもない、日常でも使われない、「俺がやらねば誰がやる」という意味の「乃公出でずんば」を選んだかといえば、現代は渋沢の時代とは違って、日本にいながら世界中の情報が十分手に入るからです。要は、既にやるべきことは分かっているし、その方法も分かっている。あとは「やるかやらないか」の問題なんですよ。
私の友人の安宅あたか和人かずとさんの代表作に『イシューからはじめよ』という本がありますが、渋沢は当時の日本の最大のイシュー、問題は何かと優先順位をつけ、それを誰かがやってくれるだろうではなく、「俺がやらねば誰がやる」という気概で解決していった人じゃないかなと思うんです。やはり「一億総評論家」では何事も前に進まない、渋沢のように「乃公出でずんば」の気概と精神を持った人間がいまの日本には必要なんです。

渋沢史料館館長

井上 潤

いのうえ・じゅん

昭和34年大阪府生まれ。明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業後、渋沢史料館学芸員として着任。学芸部長、副館長を歴任し、平成16年より現職。企業史料協議会監事、公益財団法人北区文化振興財団評議員、公益財団法人埼玉学生誘掖会評議員等も務める。著書に『渋沢栄一―近代日本社会の創造者』(山川出版社)『渋沢栄一伝―道理に欠けず、正義に外れず』(ミネルヴァ書房)などがある。