2022年3月号
特集
渋沢栄一に学ぶ人間学
対談
  • 明治大学文学部教授(左)齋藤 孝
  • 作家、中国古典研究家(右)守屋 淳
人生や仕事に生かす

渋沢栄一の教え

渋沢栄一の活動は経済界のみならず、社会福祉、国際関係、教育、文化など多岐にわたっているが、その膨大な活動の中でも、特にいま我われが学ぶべき渋沢栄一の精神や生き方とは何であろうか——。『論語』や渋沢栄一について数々の著作を執筆された齋藤 孝氏と『論語と算盤』の現代語訳をされた守屋 淳氏、博識なお二人に縦横に語りあっていただいた。

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いま伝えたい渋沢栄一の魅力

守屋 齋藤先生のご著書は長年拝読してきましたが、お会いするのは初めてですので、とても楽しみにしてまいりました。

齋藤 ありがとうございます。中国古典に造詣ぞうけいの深い守屋先生と渋沢栄一についての対談ができるということで、きょうはいろいろと伺えればと思っています。

守屋 私は渋沢栄一の魅力をひと言で表すとしたら、晩年の円熟した人柄ではないかと思っています。いまの時代は、「この人の言うことなら」と皆が納得するような〝円熟した人〟が少なくなってきましたし、円熟すること自体が難しくなりましたよね。
なぜ渋沢栄一が人間的に豊かな後半生を送れたのかと考えると、士農工商、そのすべての身分を経験しているからなんです。農家に生まれ、藍玉あいだまをつくる職人でありながら商売をする商人でしたし、その後一橋ひとつばし家に仕えて武士になりました。明治維新後は官民の他にも大学で教鞭きょうべんったり社会福祉事業を手掛けたりと、ありとあらゆる立場を経験しています。そのため、物事には多様な見方があることが身にみていた。ですから、簡単に人を切り捨てる発想には絶対なりませんでした。
それからもう一つが、数々の辛酸しんさんめてきていること。渋沢栄一は生涯に500社もの会社を立ち上げたと言われていますが、その多くが黒字になるのに長い年月を要しています。王子製紙でさえ10年かかりました。その間、投資家や株主から責め立てられるも、艱難汝かんなんなんじを玉にすの言葉通り、苦労してゆく中で人格が磨かれました。そして晩年には、「渋沢さんの言うことなら」と多くの人が慕い集うようになったのです。
私自身もこういう人間になりたいと願っていますが、残念ながらなかなか至れていません。

齋藤 私も昔から志、国を背負って立つ気概が日本発展のためには不可欠だと考えてきましたが、時代の変化の中でこの志の存在自体が薄れてきてしまっています。その中で渋沢栄一こそがこの志の体現者ではないかと感じているんです。資本主義を推進しながらも、利己的ではなく皆の幸せを考え、それを実現した人物。まさに志ある経済人であることが渋沢栄一の魅力です。
経済活動をせずに人格者なだけでは中心的な役割は果たせませんし、お金もうけが得意なだけでも人がついて来ない。渋沢栄一は皆の幸福の絶対量を増やす形で道徳と経済の両方の重要性を説いたわけですが、その渋沢栄一を日本のリーダーとして位置づけたことからも、当時の日本全体の志の高さがうかがえます。

作家、中国古典研究家

守屋 淳

もりや・あつし

昭和40年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。グロービス経営大学院特任教授。専門は中国古典、および近代日本の実業家。著書に『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)『現代語訳渋沢栄一自伝』(平凡社新書)など多数。

栄一の修正力の高さ

守屋 お話のように、渋沢栄一の人生を辿たどる中で最初の志の高さ、そしてそれを生涯腐らせなかったことが渋沢栄一のすごいところだと思います。以前ある方にリーダーの条件について伺った時、「やりたいことがある人」だと教えられました。確かに、大企業の幹部と話をしていても、やりたいことがない人がかなり多くいます。そういう人がトップに就くから、地位を守るために保身に走ったり権力争いが起こったりする。若い時に志があっても、年を経るごとに腐らせ、無くしてしまうのでしょう。
渋沢栄一の前半生はものすごく揺れ動いているように見えますが、その志は一貫していました。「沈む日本を何とかしたい」、その軸があったので、最初こそ倒幕を目指したものの、徳川慶喜よしのぶという人物がリーダーとして立てば日本は素晴らしい国になると考えが変わると、幕臣となって日本のために仕えた。この柔軟性は志の高さゆえのものです。しかも、その初心を腐らせず生涯日本のために働き尽くしました。これは渋沢栄一の人生を考える上において重要なポイントだと思います。

齋藤 倒幕の志士が幕臣になったことは渋沢栄一の「修正力」の高さの表れだと私も思います。渋沢栄一はパリ万博時にフランスに行った際にもちょんまげを切って散切ざんぎり頭になりましたし、明治政府の職を辞して野に下ったのもわずか4年の間の出来事です。違うと分かってからの修正力が非常に高いんですね。しかもスピード感のある修正力。それが可能だったのは、渋沢栄一があの時代の切迫感を人一倍感じていたからです。いくら志が高くとも、実行が遅い人は志に欠けるように思います。
話は飛躍しますが、このコロナでのオンライン授業への切り替えについても、学生を思う気持ちが切なるものであれば、もっと早く対応できたと思うんです。第二次世界大戦の真珠湾攻撃なども、ぎりぎりで判断を修正できれば、あのような悲劇は起きなかったのではないかと思わずにはいられません。

明治大学文学部教授

齋藤 孝

さいとう・たかし

昭和35年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。著書に『齋藤孝のこくご教科書 小学一年生』『国語力がグングン伸びる1分間速音読ドリル』、最新刊に『小学国語教科書』(いずれも致知出版社)がある。