2017年4月号
特集
繁栄の法則
一人称
  • 本居宣長記念館館長吉田悦之

本居宣長の
追求したもの

その表記の難解さゆえに久しく読まれることのなかった『古事記』。その解読を実に35年掛かりで成し遂げ、本書を1,000年の眠りから目覚めさせたのが本居宣長である。宣長は終生医師として生計をたてながら、『古事記伝』全44巻を遂に完成させ、日本史にその名を刻んだ。この偉業へと至る道筋から何を学ぶべきなのか、このたび弊社より『宣長にまねぶ」を上梓された本居宣長記念館館長の吉田悦之氏に紐解いていただいた。

この記事は約11分でお読みいただけます

「志」の不思議な力

三重県松阪市にある本居宣長記念館には、畢生の大著『古事記伝』の自筆稿本が展示されています。宣長がこの本の最後の頁を書き終えたのは寛政10(1798)年の夏ですから、既に220年近い時間が流れていますが、その稿本はまるで書き終えたばかりのような美しさです。文字の大きさや書体、行間に及ぶまで紙面構成が実によく練られていて、すべてが調和した清潔美を感じます。それが44冊、35年の営為であることを知る時、驚嘆せずにはいられません。

本居宣長のことを多くの方は国学者だと思っているでしょう。間違いではありませんが、実際は医業で生計を立てた人です。28歳の初冬に開業してから72歳で亡くなるまで、町医者として薬箱をぶら下げて往診を続け、5人の子供と妻を養いました。

その一方で宣長は『古事記』読解という大きな志を持っていました。何をしていても、心の中では自ら立てた目標に向かって着実に進んでいました。その志を支えたのが昼間の仕事だったわけで、医者と国学者の両面が揃って初めて宣長という人物になるのです。

宣長は考える人です。歩きながらも、飯を食いながらも、頭の中は高速回転しているコンピュータのように検索や思索を繰り返していました。仕事で疲れて筆を執れない日もあったでしょうが、それでも考え続けました。彼の志は、「忙しかったからきょうは休み」といった軽いものではありません。志にはその人をぐいぐいと引っ張って豊かな人生へと導く不思議な力があるようです。

本居宣長記念館館長

吉田悦之

よしだ・よしゆき

昭和32年三重県松阪市生まれ。55年國學院大學文学部卒業後、本居宣長記念館研究員などを経て、平成21年同記念館館長に就任。公益財団法人鈴屋遺蹟保存会常任理事を務める。宣長研究は学生時代から換算すると約40年に及ぶ。著書に『日本人のこころのことば 本居宣長』(創元社)『本居宣長の不思議』(本居宣長記念館)、編著に『21世紀の本居宣長』(朝日新聞社)『本居宣長事典』(東京堂書店)など。