2017年4月号
特集
繁栄の法則
一人称
  • 東京大学名誉教授本村凌二
歴史の教訓

ローマ帝国は
なぜ亡びたのか

紀元前753年に建国され、1200年の歴史を刻んだローマ帝国。最盛期には地中海全域を掌中に収めるなど空前の版図を誇った大帝国だったが、終わりの時を免れることはできなかった。ローマはいかにして興隆し、そして亡びたのか。ローマ史がご専門の本村凌二氏がその要因を語る。

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地中海の覇者ローマ

かつて地中海全体を包み込む大帝国を築いたローマは、ロムルス王によって紀元前753年に建国されました。最初は小さな都市国家から始まってイタリア半島を征服すると、北アフリカで栄えていたカルタゴを破って西地中海を治め、やがては地中海全域を掌中にしたのです。

395年に東西に分裂したローマ帝国は、後に西ローマ帝国の終焉をもって滅亡したとされています。建国から滅亡まで約1,200年、その間には様々な混乱や衰退に見舞われましたが、地中海に君臨していた時期はおよそ600年にも及びます。かつての大国ソビエト連邦でも国威を保てたのは70年でしたが、ローマが最も栄えていた時期とされる「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」だけでも200年続きました。

ローマが地中海の覇者としてのし上がり、しかも比較的安定した時期を長く保った上で衰退していった過程を見ていくと、これほど起承転結を完璧に見せた歴史は他にありません。このことを指して、政治学者の故・丸山眞男氏はある対談の中で、「ローマの歴史の中には、人類の経験すべてが詰まっている」と言っています。

また、18世紀のイギリスの歴史家エドワード・ギボンは『ローマ帝国衰亡史』の中で、パクス・ロマーナの時期が人類史上、最も豊かで至福の時代だったと指摘しています。これは人類がローマの時代に絶頂を極めた豊かさを取り戻すのに、18世紀半ばに始まる産業革命まで待たなければならなったことを表しており、古代ローマで経験した豊かさのピークに再び戻るのに、人類は実に千数百年もの歳月を要したのです。

東京大学名誉教授

本村凌二

もとむら・りょうじ

昭和22年熊本県生まれ。48年一橋大学社会学部卒業。55年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科を経て、現在は早稲田大学特任教授。専門は古代ローマ史。著書に『はじめて読む人のローマ史1200年』(祥伝社新書)『教養としての「世界史」の読み方』(PHP研究所)など多数。