2016年7月号
特集
腹中書あり
対談
  • 統合幕僚長河野克俊
  • 上智大学名誉教授渡部昇一

腹中書ありて
人生の万変に
処してきた

日本人の読書離れが叫ばれて久しい。2年前、文化庁が16歳以上の男女3000人を対象に実施した調査によれば、1か月に1冊も本を読まない人は何と47.5%にも及ぶ。これでいいのだろうか。知の巨人と称される上智大学名誉教授・渡部昇一氏と、約23万人の自衛隊を率いる統合幕僚長・河野克俊氏。無類の読書家として名高い2人がここに会し、読書を通じていかに人格を練り上げてきたか、心に残る古典の言葉、読書の意義などについて、縦横に語り合っていただいた。

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『ドイツ参謀本部』が最初の出逢い

河野 渡部先生、きょうは防衛省までご足労いただき、ありがとうございます。

渡部 先日、唱歌を歌う会でお会いして以来ですな。

河野 そうですね。振り返ると、渡部先生に初めてお目にかかったのは、2005年の日本海海戦100周年記念大会でご講演を賜った時ですから、もうかれこれ10年以上前になりますね。その後も、外交評論家の岡崎久彦さんが主宰する勉強会でご一緒させていただいたりしました。

渡部 この前、聞いて驚いたのは、私の『ドイツ参謀本部』を若い頃にお読みになったと。「ああ、こういう偉い人が若い頃にお読みになったとなると、俺も年を取ったな」と思いましたね(笑)。

河野 あの本を出されたのは昭和50年くらいですか?

渡部 昭和49年ですね。

河野 私が防衛大学校に入ったのが昭和48年なんですよ。で、防大の本屋で『ドイツ参謀本部』をたまたま見つけましてね。防大には入ったものの、まだ20歳前の子供でしたから、軍の組織に関する知識がありませんでした。
それですぐに本を買って読ませていただいた時に、指揮官と参謀の違いが歴史的な経緯にも触れながら明確に書かれていて、「ああ、こういうものなんだ」とものすごく印象に残ったんです。指揮官には隊員を命令する指揮権があるけれども、参謀にはそれがないと。
渡部先生、参謀肩章ってありますでしょう。あれは本来、筆記具を吊るすためのものなんですね。

渡部 そうらしいですね。

河野 要するに、参謀は作戦計画を立てる事務屋なんですよ。それがある時からエリートを象徴する肩章になってしまった。
特に日本の旧陸軍は、参謀が権限を持ち過ぎたと言われていますよね。だからその辺りから組織がおかしくなったのかなと思います。そういう意味で、私は『ドイツ参謀本部』をとおして、軍の組織のあり方を学ばせていただきました。
ちなみに、あの本はどういうきっかけで書かれたのですか。

渡部 それはね、ドイツに行ってびっくりしたんですよ。私は昭和30年にドイツに留学したんですけど、当時日本では、大井大将が倉庫番をして餓死したとか、偉い軍人だった人たちが惨めな最期を遂げておられました。
ところが、ドイツの軍人はみんな颯爽としているんですよ。これはおかしいなと思って調べたら、結局ドイツではナチスだけが裁かれて軍は裁かれなかったんですね。それで私は、軍人が好きだったこともあって、ドイツ軍に関する本を集めていきました。
その時は純粋に集めているだけでしたけど、帰国後、歴史学者の林健太郎先生が『ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの』という本をお書きになったんですよ。読んでみたら、ほとんど軍のことが書いていない。やはりドイツを論じて軍を書かないのはおかしいじゃないかと。私の手元にはいろいろな参考書がありましたから、書いてみようと思ったんですね。
だから、あの本は英語の駆け出し教師である全くの素人が書いたものなんです(笑)。
しかし、統合幕僚長になる人が若い時にそれを読んでくれていたというのは非常に嬉しいですね。

河野 いえいえ、恐れ入ります。

統合幕僚長

河野克俊

かわの・かつとし

昭和29年北海道生まれ。52年防衛大学校卒業後、海上自衛隊入隊。海上幕僚監部防衛部長、海将、統合幕僚副長、自衛艦隊司令官などを経て、平成24年海上幕僚長就任。26年10月より現職。イージス艦事故や東日本大震災での危機対応、18年ぶりの日米ガイドライン改定など、指揮官としてリーダーシップを発揮している。

自衛官としての志を固めた1冊

渡部 きょうはせっかくの機会ですので、河野さんが自衛隊という職業を選ばれたきっかけを教えていただけますか。

河野 私の父親は旧海軍の軍人なんですよ。潜水艦乗りとして真珠湾攻撃に参加した後、インド洋海域で作戦を遂行し、マダガスカル島にも行ったと言っていました。

渡部 死地を潜り抜けて帰還されたわけですね。「可愛い魚雷と一緒に積んだ青いバナナも黄色く熟れた……」という、インド洋で活躍した日本の潜水艦の歌を中学生の頃によく歌ったものですよ。

河野 それで戦後、海上自衛隊に入ったんです。うちは5人きょうだいで1番上と1番下が女、真ん中の3人が男なんですね。父としては、男が3人いるんだから1人は必ず自分の跡を継いでほしいと。
私は3人の中で1番下なんですよ。で、上の2人が自衛隊に入るとか言っていたのに入らなくて、結局私にお鉢が回ってきた。いろんな自衛隊のイベントに連れていかれて、入るように仕向けられたんですね。ただ、私も特に「これになりたい」って職業がなかったものですから、「まぁいいか」と。そんないい加減な動機で入ったんです(笑)。

渡部 その選択が間違いなかった。お父様は慧眼だったんですな。

河野 いやぁ、私は要領が悪いものですから、最初はものすごく苦労しましたよ。防大の上級生からよく指導されましたしね。
ちょうどその時、司馬遼太郎の『坂の上の雲』と出逢ったんです。どういう本かも全く知らずに読んだんですけど、非常に面白かったですね。海軍の秋山真之が主人公になっていて、私としても身近に感じましたし、何よりも小さな日本の軍人たちが強国ロシアとの戦いに全身全霊を懸けていく物語に心を動かされたんです。
この本を読んで、「自分はこの道で一所懸命やろう」という気持ちになりました。

渡部 『坂の上の雲』が自衛官としての志を決定する1冊になったのですね。

河野 そうなんです。『坂の上の雲』がきっかけとなって、明治、大正時代の軍人たちの生き方に大変興味を抱きまして、『アメリカにおける秋山真之』や『ロシヤにおける広瀬武夫』という、とても分厚い本ですけど……。

渡部 ああ、島田謹二先生のね。

河野 ええ。その辺りの本を集中的に読み漁りました。

渡部 小説っていうのは意外に大きな力があるものですよ。

河野 大きいですね。

渡部 文藝春秋社を創設した菊池寛が、小説は知らない世界を教えるから非常に重要なんだと、何かに書いていましたが、まさにそのとおりだと思うんです。
確かに子供の時に、「歴史の本を読め」とか「古典を読め」とか言ったところで、そりゃあ子供は読みませんけれども、小説で読むと生き生きと分かるわけですよ。

河野 私にとって『坂の上の雲』が人生のターニングポイントになったように、歴史を学ぶなら小説がいいかもしれません。
しかし、司馬遼太郎さんの乃木希典大将に対する評価って低いですよね。

渡部 あれは間違っていますよ。そこが『坂の上の雲』の瑕ですな。

河野 乃木大将は非常にストイックな方だったと思います。それはやっぱり江戸時代に受けている教育ですよ。乃木大将は幼い頃、吉田松陰を育てた玉木文之進に弟子入りして兵学の手解きを受けています。確か乃木家と玉木家は親戚筋ですよね。だから、相当厳しい教育を受けて、あれだけの人間力をつくられたんだなと。
203高地の作戦で確かにものすごい被害は出ましたけど、みんな乃木大将の魅力についていったことは間違いないですからね。

上智大学名誉教授

渡部昇一

わたなべ・しょういち

昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年から上智大学名誉教授。著書は専門書の他に『伊藤仁斎「童子問」に学ぶ』『日本の活力を取り戻す発想』『歴史の遺訓に学ぶ』など多数。最新刊に『渡部昇一一日一言』(いずれも致知出版社)。