2021年6月号
特集
汝の足下を掘れ
そこに泉湧く
インタビュー②
  • 東近江市永源寺診療所所長花戸貴司

人生の最期を
笑顔で迎えられる町に

8割の人々が病院で亡くなる日本において、在宅での看取りが半数という驚くべき地域が滋賀県東近江市にある。人口5,000人の永源寺地域である。2000年、永源寺診療所に赴いた花戸貴司医師は10年委上の歳月をかけて、地域ぐるみで高齢者や障碍者を支え合う「チーム永源寺」という組織をつくりあげた。地域の力を掘り下げ、そこに眠る宝を活かすことで、他で真似できない体制を築いてきた花戸医師にお話を伺った(写真/國森康弘氏撮影)。

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父親の死と医療への目覚め

——東近江市ひがしおうみし永源寺えいげんじ地域では半数の人たちが自宅で最期を迎えられると聞きました。全国では約8割が医療機関で亡くなることを考えると、驚くべき数字ですね。

ご覧の通り、この永源寺地域は市の中心部から車で1時間ほど離れた山間地にある人口5,000人ほどの地域です。うち37%が65歳以上という典型的な少子高齢化地域です。この地域で数少ない医療機関の1つが永源寺診療所ですが、我われのような少数のスタッフで在宅での看取みとりができるのも「チーム永源寺」という地域の人々とのつながりが機能しているからなんです。

——メンバーはどういう方々なのですか。

医師や看護師、薬剤師、栄養士、ケアマネジャー、ヘルパーといった専門職だけでなく、行政、商工会、警察、消防署、寺院など様々な立場の人たちが連携しながら、地域のお年寄りや障碍しょうがいを抱えた人たちを見守り、支え合っています。いま全国の自治体で高齢者、障碍者を支える地域内の連携が叫ばれ、「チーム永源寺」を参考に活動されるところも多いのですが、実際にはなかなかうまくいかないという声も耳にします。
私たちの場合、まず計画ありきでこのようなシステムを構築しようとしたわけではありません。10年以上という時間は掛かりましたが、少しずつ地域の皆さんとの信頼関係を築き上げたことが、結果的に「チーム永源寺」のいまに繋がっていると思っています。

——花戸先生が医師になられたいきさつをお聞かせください。

私は滋賀県長浜市にある和菓子屋の息子で、医療とはおよそ無縁の世界で育ちました。和菓子職人の父は私が中学3年生の時にがんで亡くなりました。私も職人の道へ進むのかと漠然と思っていたのですが、父の闘病を通して医療の世界に触れたのが医師を志したきっかけです。
子どもの頃、正月のお餅の配達を手伝っていた時のことでした。ほとんどの家は喜んでいただけるわけですが、中には「お金、そこに置いてあるから取っていって」と奥から足の悪そうなお年寄りの声がするだけの家もありました。「どういう人が住んでいるんだろう。この人を誰が支えているんだろう」という疑問がありました。その頃から「誰かの役に立つ仕事がしたい」という気持ちが芽生えたように思います。

——それで医学部に進まれた。

私が選んだのは栃木県にある自治医科大学でした。全国の僻地へきちに医療を届けるという役割を担った大学で、大きな病院に勤務するよりも、より患者さんに近いところで仕事がしたいという思いがありました。卒業後に小児科を専攻したのは、病気を抱えながらも、逞しく成長していく子どもたちの姿に人間の素晴らしさと喜びを感じたからです。
ただ、卒業してすぐに一人前の医療ができるはずはありませんから、大学病院や中規模の病院などで5年間研修し、2000年、29歳の時にこの永源寺診療所を任されました。

東近江市永源寺診療所所長

花戸貴司

はなと・たかし

昭和45年滋賀県生まれ。自治医科大学卒業後、大学病院勤務などを経て平成12年東近江市永源寺診療所所長に就任。著書に『ご飯が食べられなくなったらどうしますか? 永源寺の地域まるごとケア』(農山漁村文化協会)『最期も笑顔で 在宅看取りの医師が伝える幸せな人生のしまい方』(朝日新聞出版)など。