2021年6月号
特集
汝の足下を掘れ
そこに泉湧く
インタビュー①
  • MHホールディングス社長原田政照

心をむすんで
夢をひらいた経営道

惣菜・弁当の販売を行う「むすんでひらいて」は、お客様目線の商品を30年以上つくり続け、現在九州を中心に全国に314店舗を展開している。創業者の原田政照氏は、その功績を決して誇らず謙慮に、常に感謝を述べながら今日までの歩みを語った。自らの経営道を一筋に掘り下げてきた原田氏が見つけた泉とは——。

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心をむすんで夢をひらく

——きょうは原田社長にお話を伺えることを楽しみにまいりました。

いえ、むしろこちらがお礼を言わなければいけません。わざわざ福岡までお越しいただいて。

——原田社長は創業から30年以上、中食なかしょく(弁当や惣菜そうざいをテイクアウトして家で食べること)業界一筋に歩み続けてこられましたね。

歩ませていただいた、というのが偽らざる思いです。当初からこんな会社にしようと志したわけでもありませんし、本当に〝思いがけず〟の結果なのです。
おかげさまでここ数年は出店数が急増し、それに伴い売り上げも伸ばすことができていますけれど、いまでも大した会社だとは思っていません。気障きざに聞こえてしまっては申し訳ないのですが、成功しているとはこれっぽっちも思っていないのです。随分と失敗を重ねてくる中で、昨日よりもきょう、去年よりも2021年と、毎年少しずつ失敗のレベルが上がってきたのではないか、そう考えているのです。

——創業以前は、家業のお茶屋を営まれていたと伺いました。

ええ。福岡県行橋ゆくはし市の商店街にあるお茶屋の息子として生まれ、大学卒業後に数年間建設会社でサラリーマンをした後、32歳で家業に戻ってきました。お恥ずかしい話ですが、『致知』に登場される方々のように大きな志やきっかけがあったわけではなく、「なんとなく」というのが本音です。
実際にそこから10年ほどは試行錯誤の連続で、うどん屋をやったり食堂や弁当を請け負ったりと、ご縁をいただく度に食関連の新しい仕事を行っていました。

——「むすんでひらいて」の創業はどういういきさつでしたか?

これもある方とのご縁によるものです。福岡県を中心に当時まだ珍しかったディスカウントストアを手掛けていたロヂャース(現・ルミエール)の三角みすみ勝信さんと親しくさせていただいていましてね。ロヂャースさんが新しく手掛ける店舗で客層を増やす試みとして生鮮食品も扱うことにしたと。しかし生鮮食品は未経験だったため、私が人を紹介するなど様々な相談に乗っていた流れで、「惣菜コーナーをやってみないか?」とお誘いいただき、「それじゃあ、やらせてもらいます」と、いま思えば申し訳ないほど軽い気持ちで、1988年、41歳の時に始めることになりました。

——「むすんでひらいて」という社名はとても素敵ですね。

社名を決めるだけで1年悩みました。出店のお誘いをいただいてからあれこれと考える中で、ある時ハッと「むすんでひらいて」という言葉が脳裏にひらめいたのです。「むすんでひらいて」というのは、〝心をむすんで夢をひらく〟という意味になる。これはいいなと。この会社名には思い入れがあり、自分の子供みたいなものですよ。
初めはこの仕事を食堂や弁当の仕事の延長線だと安易に考えていましたが、実際にやってみるとまったくの門外漢もんがいかんで、開店までの約1年間は慌ただしく動き回りました。様々な惣菜店を見て品ぞろえや売れ行きを観察し、陳列ちんれつの仕方から厨房ちゅうぼうの設計までを学んでいきました。
いまでは笑い話ですけど、値段のつけ方も分からなかったので、利益を度外視してでもお客様に満足してもらえる商品にしようと、「この値段だったら、少しくらいまずくても許してやろう」とお客様に感じてもらえるような安値をつけたんです(笑)。

——原価などを考慮せずに?

そんなもの知らなかったですから(笑)。同業者からもびっくりされましたが、不思議とお店は回っていきました。知識も経験もなかったことが結果的によかったのでしょう。ある程度仕入れ値や人件費の計算ができたら、会社の都合で経営をすることになっていたかも分かりませんから。

MHホールディングス社長・むすんでひらいて創業者

原田政照

はらだ・まさてる

昭和22年福岡県生まれ。大学を卒業後、北九州の建設会社入社。32歳の時に行橋市でうどん屋を営んでいた家業に入る。63年「むすんでひらいて」を設立。平成26年MHホールディングス設立。著書に『心をむすんで夢をひらいて』(MHホールディングス)がある。