2020年6月号
特集
鞠躬尽力
  • 中国文学者渡辺精一

諸葛孔明

鞠躬尽力の人生に学ぶ

鞠躬尽力して、死して後己まん——この身を捧げて死ぬまで全力でやり続ける。『三国志』で知られる諸葛孔明の上奏文に記された一文である。この言葉からは、亡主・劉備の志を受け、大国・魏に敢然と戦いを挑んだ男の並々ならぬ決意が伝わってくる。歴史に名高い名軍師の思い、そしてその足跡を、中国の歴史、文学に詳しい渡辺精一氏に伺った(写真:孔明終焉の地・五丈原。一縷の望みを懸け、命尽きるまで戦い抜いた ©時事通信フォト)。

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鞠躬尽力して、死して後已まん

諸葛孔明しょかつこうめいといえば、『三国志』に登場する英雄として日本でも広く知られ、数ある歴史上の人物の中でも屈指の人気を誇る。吉川英治の小説などを通じてその活躍に胸を熱くされた方もさぞかし多いことであろう。

私の専門は中国文学であるが、残念ながらそうした経験はない。諸葛孔明といっても、歴史上の人物の一人という認識しかなかった。そんな私が孔明と本当の出会いを果たしたのは、いまから38年前。恩師の引き合いで『三国志』の講義を受け持つことになり、本格的に向き合うことになった。以来、『三国志』や孔明に関する本を多数執筆してきたが、彼のことを知るにつけ、その心意気に深く感じ入るものがあった。

例えば「鞠躬尽力きっきゅうじんりょくして、死して後已のちやまん」(ひたむきに己の全力を尽くし、死ぬまでやめない覚悟であります)という言葉。これは孔明が亡きあるじ劉備玄徳りゅうびげんとくの志を継いで弱小国家・しょくを率い、大国・に立ち向かう時の並々ならぬ決意をつづったものである。魏に比べて国力で圧倒的に劣る蜀は、黙っていればいずれみ込まれてしまう。ならば打って出て勝負する。そこにわずかな望みがあるなら挑むという、死をも覚悟した心意気が伝わってくる。

『三国志』から創案された物語『三国志演義えんぎ』の影響で、諸葛孔明といえば、神技しんぎのような知略で蜀の躍進に貢献する天才軍師というイメージが強い。しかしながら、正史に記された実像はどのようなものであったのだろうか。本稿では、一級資料である陳寿ちんじゅの『蜀志』諸葛りょう伝をり所に、その足跡を辿たどってみたい。

中国文学者

渡辺精一

わたなべ・せいいち

昭和28年東京都生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士後期課程単位修得。二松学舎大学講師、朝日カルチャーセンター、早稲田大学エクステンションセンター講師を歴任。『三国志』関連の書籍を数多く手掛ける。著書に『三國志人物事典』『全論・諸葛孔明』(共に講談社)など。