2020年6月号
特集
鞠躬尽力
インタビュー④
  • ペシャワール会 会長村上 優
「天、共にあり」

中村哲医師の遺志を
受け継がん

中村 哲医師。国際NGO・PMS(平和医療団・日本)総院長、NGO「ペシャワール会」の現地代表として35年間にわたり、アフガニスタンとパキスタンでハンセン病患者や難民への医療活動、灌漑設備の普及活動に尽力してきた。2019年惜しくも凶弾に倒れた中村医師と長年共に歩んできた村上 優氏に、その活動の足跡や中村医師の生き方から学ぶべきことを伺った。

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中村医師の希望と事業をすべて引き継ぐ

——「ペシャワール会」の現地代表で、長年にわたりアフガニスタンとパキスタンで人道支援にたずさわってきた中村てつ医師が、2019年惜しくも凶弾きょうだんに倒れました。

12月4日ですね。中村先生はあの日、いつものようにアフガニスタン東部のジャララバードにある宿舎を朝出発し、灌漑かんがい工事の現場に車で向かう途中でした。
かつて砂漠と化していたその地域は、中村先生の取り組みによって用水路が通り、農業が復活し、難民になった人々が帰ってきて、いままでにないほどのバザール(街頭市場)ができていたんです。

——ちょうど10月にアフガニスタン政府から名誉市民権を授与されたばかりだったそうですね。

平和になりつつあったところに、なぜ? という思いです。
実は事件があった日、僕はたまたま福岡の病院で手術を受けていたんです。麻酔から覚めて病室に戻って間もなく、事務局から電話で一報が入りました。亡くなったと知った時はただただ茫然ぼうぜんとするしかなくて……。
事件直後に二人のアフガニスタン人が逮捕されたけれども、嫌疑けんぎがなく釈放されています。水の利権を巡る争いだとか、評論家がいろいろなことを言っていますが、真相はまだ何も分かっていません。
ただ、一つ言えるのは偶然に起こった出来事ではなく、何かの意図があったということ。これは確かです。アフガニスタンでは武装勢力が国際NGO(非政府組織)や外国機関を攻撃する事件は数多くあり、治安が悪く、危険性はかねてずっとありましたから。
我われペシャワール会としては犯人捜しをしないこと、中村先生の希望をすべて引き継いで、生前に進めていた事業をすべて継続していくことに決めました。ダラエヌール診療所での医療活動を手始めに、ガンベリ砂漠にある230ヘクタールの農地での稲作・畑作・酪農・養蜂、それから各地の用水路工事、これらすべて再開しています。

——中村医師の遺志を受け継がれていると。

中村先生は亡くなる3年ほど前から、今後の事業についての方針を我われに指示しておられました。「自分がいなくなったら事業は終わりというわけにはいかないよ」と。中村先生の代わりは務まりませんし、医師の先輩であり人生の師でもある方との突然の別れに悲しみは尽きませんが、ペシャワール会の会長として、中村先生が35年にわたって続けてきた事業を皆で力を合わせて実現していきたいと思っています。

ペシャワール会 会長

村上 優

むらかみ・まさる

昭和24年福岡県生まれ。49年九州大学医学部卒業。同年国立肥前療養所(現・国立病院機構肥前精神医療センター)入職。平成16年同・臨床研究部長、18年琉球病院長、26年榊原病院長。30年さいがた医療センター院長特任補佐。4年ペシャワール会事務局長、18年ペシャワール会副会長を経て、29年ペシャワール会会長。令和元年PMS(平和医療団・日本)総院長。