2020年6月号
特集
鞠躬尽力
対談
  • 写真家藤森 武
  • 歴史研究家福田正秀

宮本武蔵と土門 拳

二人の求道者が教えるもの

不朽の古典『五輪書』を著し、生涯でただ一度も勝負に負けなかったという剣豪・宮本武蔵。「写真の鬼」とも呼ばれ、被写体の本質を抉り出す写真で一世を風靡した土門 拳。二人の求道者はいかにして自らの道を歩み、極めていったのか。土門 拳の高弟で写真家の藤森 武氏と、宮本武蔵の実像に迫る画期的な論考を世に送り出してきた歴史研究家の福田正秀氏に、知られざる貴重なエピソードを交えて、熱く語り合っていただいた。

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宮本武蔵と土門拳の意外な接点

福田 きょうは剣豪けんごう・宮本武蔵と写真家・土門拳どもんけんをテーマに藤森さんと対談ができるというので、とても楽しみにしておりました。
熊本は武蔵が肥後ひごの細川藩初代藩主・細川忠利ただとしに招かれ、最晩年の五年間を過ごし没した土地。つまり武蔵終焉しゅうえんの地です。有名な『五輪書ごりんのしょ』も熊本で書かれました。
そして、ここ島田美術館は、武蔵の貴重な遺墨いぼく・遺品や関係資料を常設する「宮本武蔵ミュージアム」として、全国から武蔵ファンが訪れる聖地となっています。藤森さんの師匠である土門拳も、若き日に武蔵の面影を追い求めて島田家を訪れていたと、初代館長である島田真祐しんすけさん(故人)から聞いたことがあります。その時には「どうして土門拳が宮本武蔵を?」と不思議に思いました。

藤森 私も2014年、何度か島田美術館を訪ねた時に、「土門拳の弟子です」と島田館長に名刺を渡したら、「ああ、若い頃の土門さんが来たよ」っていうんです。私も土門先生と武蔵がすぐには結びつかなくて、「そんなことはないでしょう?」とびっくりしました。
でも、いつのことか正確に覚えてないけれど、間違いなく土門拳が弟子も連れずに一人でやって来て、それも3、4日滞在し、武蔵関係のものを撮影していったと。

福田 それは島田館長が少年の頃だったそうですね。土門拳が武蔵の肖像をじっと見てボソッと「目が怖い」とつぶやいていたそうです。

藤森 ただ、後からなんとなく思い当たる節というか、分かってきたことがあってね。例えば1962年、私が土門先生に弟子入りした直後のことでしたが、「いまから映画を観に行くぞ!」って言うのでついていくと、それが武蔵をテーマにした映画だったんです。
その当時は、「なんでこんな映画を観ているんだろう」としか思わなかったのですが、島田館長の話を聞いて「ああ、そうか。先生は武蔵に入れ込んでいた時期があったんだな」とやっと分かった。
それによく考えてみると、土門先生と武蔵はどことなく似ているところがあるんです。おそらく土門先生は武蔵の生き方をかなり参考にしていたんじゃないかと思います。後ほど詳しく話し合いたいと思いますが、武蔵と土門先生には共通点がたくさんある(笑)。

写真家

藤森 武

ふじもり・たけし

昭和17年東京都生まれ。写真短期大学(現・東京工芸大学)在学中から土門拳に師事。『古寺巡礼』シリーズをはじめとする後期代表作の助手を務める。凸版印刷写真部を経て、フリー写真家となる。『独楽・熊谷守一の世界』『隠れた仏たち(全5巻)』『日本の観音像』など写真集多数。日本写真家協会会員。土門拳記念館理事・学芸員。

この人なら武蔵の魂を写し取れるかもしれない

福田 藤森さんと私のご縁の始まりも、まさしく武蔵でしたね。

藤森 ええ、初めてお会いしたのは15年前の2005年です。
当時、高校の同級生から『五輪書 サムライたちへ』という本をつくるから協力してほしいと依頼がありまして、私がその巻頭を飾る武蔵の足跡写真を撮影することになったんですね。それで各地にある武蔵の史跡を巡る中で、最終地の熊本に行こうという時に、「現地を案内してくれる人を紹介してほしい」と知人に相談したら、「福田さんという、宮本武蔵の研究では熊本で一番の人がいる」と。
8月下旬のものすごく暑い時期でしたが、福田さんは快く引き受けてくださり、撮影したらよい場所を車で全部案内してくださいましたよね。さらに、奥様がおしぼりやおいしい昼食まで用意してくれ、私はなんて優しい人たちなんだろうと感動しました(笑)。

福田 失礼ながら、それまで藤森さんのことを存じ上げていませんでした。挨拶代わりにと、「画壇の仙人」と呼ばれた熊谷守一くまがいもりかずを藤森さんが撮影した『独楽どくらく・熊谷守一の世界』という写真集を事前にお送りくださったことで、土門拳のお弟子さんであり、仏像や国宝・重要文化財撮影の第一人者であることを初めて知ったわけです。
そして、2日間熊本をご案内する中で、藤森さんの写真家としてのプロ根性を見せていただきました。とりわけ強く印象に残っているのは、最後にご案内した武蔵のお墓「武蔵塚」での撮影です。
藤森さんは武蔵のお墓にじっと対峙たいじしているばかりで、いつまで経っても写真を撮られない。飛行機の時間は迫ってくるし、心配になって「どうして撮られないのですか」と聞いたら、藤森さんは「いや、木漏こもれ日が武蔵のお墓に当たるのを待っているんです」とおっしゃる。実際、お墓のそばの木立の間から射していた木漏れ日が、しばらくして「新免しんめん武蔵居士石塔」と彫ってある碑面にポツ、ポツっと黄金色にまるく当たると、まるでお墓に魂が入ったように温かくなり、武蔵が生きて立ち上がってくるように感じられた、その刹那せつなを藤森さんはすかさず撮られた。

藤森 木漏れ日が当たれば、墓石に刻まれた文字がぐっと浮いてくると確信していたんです。でもなかなか当たらない(笑)。粘りに粘って、当たった瞬間にシャッターを切ったわけですが、飛行機の時間は本当にぎりぎりでしたね。

福田 さすが土門拳のお弟子さんだと、藤森さんの姿を通して土門拳のすごさを実感しましたよ。

藤森 ああ、そうですか。いやぁ、私はもうその時は完全に武蔵になり切っていました(笑)。それに福田さんの案内があまりにもうまいから、私もどんどん武蔵が好きになっていっちゃったんですよ。

福田 そして、藤森さんなら武蔵 の遺墨などから武蔵の心、魂を写し出せるかもしれないと感じました。その思いをお話しすると藤森さんも同感してくださり、藤森さんの写真に私が解説文をつけた「武蔵の写真文集」を出版するのが共通の夢になったんですね。
あれから15年。6年前にある雑誌の連載で、4~5回に分けて2人でロケを敢行かんこうし、武蔵の遺墨や史跡の撮影はすべて済んでいるのですが、本にする夢はまだかなっていないのがとても残念です。

藤森 ええ、この夢は何年かかってもぜひ実現させたいですね。

歴史研究家

福田正秀

ふくだ・まさひで

昭和23年長崎県生まれ。放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。宮本武蔵・加藤清正など歴史人物を研究。著書『宮本武蔵研究論文集』『宮本武蔵研究第二集武州傳来記』『加藤清正「妻子」の研究(水野勝之と共著)』『加藤清正と忠廣 肥後加藤家改易の研究』他。日本歴史学会会員。(公財)島田美術館評議員。(一財)熊本城顕彰会理事。熊本県文化協会理事。