2023年3月号
特集
一心万変に応ず
対談
  • 女優安奈 淳
  • 女優音無美紀子

逆境を乗り越えて
いまを生きる

闘病体験を通して掴んだもの

宝塚歌劇団のトップスターとして活躍後、演劇や歌を中心に様々なステージに立ちながらも膠原病をはじめ幾多の難病に打ち克ってきた安奈 淳さん。女優として数々のテレビドラマや映画に出演する傍ら、子育て中に突然見つかった乳がん、そしてその後発症したうつ病を乗り越えた音無美紀子さん。「病をしたからいまがある」と当時を笑顔で振り返るお二人の話には、病に限らず、逆境や試練に直面した際の心の持ち方のヒントが詰まっている。

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40年前の共演がご縁のスタート

安奈 最近スマホに変えてSNSをやり始めたんだけど、美紀子ちゃんはよくFacebookやInstagramに写真をアップしてるよね。それをいつも見ているから会えなくても会っている気になっていました。生の美紀子ちゃんは久しぶり。

音無 私も美樹ちゃん(安奈さんの本名/富岡美樹)情報はSNSから入手していて、主人(俳優の村井國夫氏)と一緒に美樹ちゃんのコンサートに行きたいねと話していたんです。

安奈 ああ、村井さんも。村井さんとは何度か共演したり、ボイストレーナーの先生が一緒だったりとご縁があるので、美紀子ちゃんがSNSに載せる夫婦のツーショットを見て、2人ともいい顔になったわ~なんて思っていました。

音無 お恥ずかしい。最初に会ったのはもうかれこれ40年以上も前のことよね。1980年にもりしげひささんが主演の東宝ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』で共演して。同じ名前だから、「みきちゃん」って言われると2人で振り向いてしまって(笑)。
私は小さい頃から宝塚が大好きだったので、あの時は憧れの人に会えた気分でずっと美樹ちゃんを眺めていました。

安奈 そうだったの?

音無 そうよ。宝塚は中学の頃からずっと憧れて、宝塚に入りたかったけど、6人姉妹で私だけにお金がかけられないと両親に言われて受験はできませんでした。

安奈 初めて聞いた(笑)。

音無 公演のプログラムやブロマイドも集めてましたよ。美樹ちゃんは歌もお芝居も上手だから、同じ舞台に立つことになった私は緊張しきりでした。

安奈 美紀子ちゃんはテレビとかでお芝居なさっていたから、ものすごくナチュラルな芝居をする人だなと思っていました。それにすごく素直だし、お料理が上手。いまもよくSNSに料理をアップしているけど、あの頃もよく稽古けいこ場に手づくりの料理を持ってきてくれたよね? 鶏ミンチの卵とじ、あれは衝撃的なおいしさで、私まだその味覚えているの。

音無 えぇ、本当に? 女優の山岡久乃さんが必ず楽屋に手づくり料理を持っていらしていて、それを森繁久彌さんが喜ばれていたのを知って、真似をしていたんです。森繁さんには「まだ修業が足りない」って言われましたけど(笑)。

安奈 それ以来、ちょこちょこは会っていたけど、互いに闘病生活のことを話すのは初めてね。

音無 ええ。だからこの対談の企画を聞いた時、「美樹ちゃんとならぜひ!」とすぐにお返事をして、会えるのを楽しみにしていました。

女優

安奈 淳

あんな・じゅん

昭和22年大阪府生まれ。本名は富岡美樹。40年宝塚歌劇団に入団し、星組・花組の男役トップスターに。50年『ベルサイユのばら』のオスカル役を演じ、第1期ベルばらブームを築く。53年30歳で退団後、持ち前の演技力と歌唱力を活かし舞台などで活躍。平成12年に膠原病となり生死の境を彷徨い、長い闘病期間を経て奇跡的に復帰。著書に『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』(主婦の友社)など。

宝塚のトップスターが誕生するまで

音無 改まって聞いたことがなかったですけど、美樹ちゃんはどうして宝塚に?

安奈 両親が宝塚の大ファンで、女の子が生まれたら宝塚に入れようと、私が生まれる前から決まっていたみたいです(笑)。私は絵も好きで、絵の勉強をしたいなと思ったこともあったけど、両親が苦労しながら様々な習い事をさせてくれていたので、最初は親のために宝塚を受験したようなものです。幸い初めて受けた15歳の時に倍率11倍の中、5番目の成績で宝塚音楽学校に入学できました。

音無 それはすごい。宝塚の倍率はものすごく高いから。

安奈 宝塚は努力家たちの集まりで、入学後は周りの一所懸命さにつられて夢中で稽古に打ち込むようになりました。卒業した年に初舞台を踏み、30歳で退団するまでの13年間、本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。それはもう大変でつらいことも多かったと思うんですけど、人間って苦労したことは忘れるのね、楽しかったことしか覚えていません。
1番学んだのは「せば成る」、頑張ったらできないことはないんだということです。宝塚の人ってあきらめないのよね、しつこい(笑)。私は生来の怠け者で、そんなに努力をしてなかったんだけど、何があっても皆が弱音を吐かないから、私も根性がつちかわれました。
舞台というのは個人じゃなくて集団でつくり上げるものでしょ。一人が足を引っ張ると皆が迷惑するから、もう必死になってついていくの。そうするとできないと思っていたこともできている。人間、やれないことはないのよね。

18歳の頃の安奈 淳さん

音無 私すごく思うのは、宝塚出身の方たちって皆さん絶対に「できない」とはおっしゃらない。

安奈 私たちの時代は口がすべっても言えなかった。

音無 宝塚は美しくてお嬢様のような気品がありながら、根性が本当にすごい。それにいざ本番になると、稽古場での練習の100倍も光輝くオーラを放つ人たちばかり。美樹ちゃんは努力しなかったなんて言うけど、それは絶対嘘よ。

安奈 努力だと思っていなかったのかもしれません。やらないと生き残っていけないから。

音無 ああ、努力の基準が違う。

安奈 だから宝塚を辞めて一人になった時に、これからは皆に甘えられないから努力しなくちゃと強烈に思ったことを覚えています。

音無 退団するまでの間、社会現象にまでなった『ベルサイユのばら』のオスカル役をはじめ、トップスターとして数々の主演を務めてきましたけど、トップスターになれたけつみたいなものってありますか。

安奈 いや……いろいろな人に支えられてトップをさせてもらった、としか言いようがないんです。私はものすごくのんでぼーっとしているところがあって、上級生も下級生も私を放っておけないと気にかけてくれ、皆に後押ししてもらっていました。だから私一人じゃトップになっていなかった。
退団したばかりの頃は宝塚での人気を引きずっているので様々な仕事のオファーをいただいたんですけど、時代劇などでは声の出し方にすごく苦労して。でもありがたいのは、現場で宝塚出身の上級生にお会いすると、丁寧にいろいろ教えてくださるんです。普通、失礼にあたるかもと思ってなかなかそういうアドバイスって言えないじゃないですか。でも宝塚には家族のような絆があって、「あそこはおかしい」「こうしなさい」とストレートに言っていただけたのは嬉しかったですね。
それで求められるがままに、今日まで夢中で仕事をさせてもらってきました。

女優

音無美紀子

おとなし・みきこ

昭和24年東京都生まれ。41年劇団若草に入団し、42年17歳の時に『でっかい青春』でドラマデビュー。46年TBSテレビ小説『お登勢』の主演で一躍脚光を浴び、数々の映画、TVドラマ、舞台、CMで活躍。62年乳がんを患い左乳房を全摘出。その後、うつ病にも苦しむが家族の支えによって立ち直る。著書に『がんもうつも、ありがとう! と言える生き方』(青春出版社)など。