2023年3月号
特集
一心万変に応ず
対談
  • 「実践人の家」参与浅井周英
  • ハガキ道伝道者坂田道信

『森信三
運命をひらく365の金言』
に学ぶべきもの

国民教育の師父と謳われた森 信三師。その没後30年の節目に当たる昨年(2022)11月、弊社より発刊され大きな反響を呼んでいるのが『森信三 運命をひらく365の金言』である。森師の謦咳に接し、同書にそれぞれ「まえがき」「推薦の言葉」をお寄せいただいた浅井周英氏と坂田道信氏の心に、いま去来するものは何か。同書を手にした感動や、大切な思い出を語り合っていただく中で、いま、改めて森師の教えから学ぶべきものについて考えてみたい。

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天へ向かっての〝いのち〟の呼び声

浅井 森先生が平成4年の11月21日にお亡くなりになって、昨年でちょうど30年が経ちました。ありがたいことに、その節目の年の8月に致知出版社さんから『続・修身教授録』が発刊され、これで一つの区切りをつけていただいたと思っていたら、さらに祥月命日の11月21日にこの『森信三 運命をひらく365の金言』(以下『365の金言』)をじょうしてくださいました。

坂田 30年も経って、よくこんな立派な本をつくってくださいました。本当にありがたいことです。

浅井 森先生は生前、「私が死んで30年経ち、たとえ2人でも3人でも自分の書いたものを読んでくれたら、文化勲章をもらうよりも嬉しい」とおっしゃっていました。実際に30年経ったいま、致知出版社さんのご尽力もあって、2人や3人どころか、ものすごい数の人々が森先生の言葉に感応し、この『365の金言』も大きな反響を呼んでいる。先生の教えを受けた我われとしては、こんなにありがたいことはありません。
きっといま頃森先生は、魂の故郷で森信三哲学の伝承に努められた寺田一清いっせいさん、ご子息のみちひこさんと手を取り合って喜ばれていると思いますよ。

坂田 私は学問を知りませんから勝手な表現をしますが、1ページ、1ページが天へ向かっての〝いのち〟の呼び声のようです。懐かしい母親のぬくもり、根源的な真理に私たちを導いてくださる物語のようで、読んでいると感謝の思いがあふれてくるんです。
きょうはこんな楽しい対談の機会をいただいて、嬉しいなぁ、浅井先生にもっと森先生のことを伺いたいなぁという願いを持ってやってきました。

浅井 私も坂田さんとお話をするのが楽しみでした。実は先日、久しぶりに森先生の夢を見ましてね。

坂田 ほう、森先生が夢に。

浅井 私が街頭で易を行おうとしたら、茶色のそうしょうきんをかぶった和服姿の森先生がニコニコしながら現れて、「私が手本を見せてあげよう」とおっしゃる。早速息子のことで相談に見えたご婦人に、「息子さんの心はいま暗闇を彷徨さまよっているから、まず心の中のローソクに火を点じなければならない。そのためにはこれを読ませるとよい」と言って、『365の金言』を渡されたんです(笑)。

坂田 そりゃいい夢をご覧になりましたねぇ(笑)。
私も、この『365の金言』を一人でも多くの人に配布しなければと決心、決意して、皆さんに案内したところ、早速500人以上の方が注文してくれました。

浅井 あぁ、それはすごいですね。

坂田 1冊1冊が、「お役に立ちたいよ」と叫びながら私の元から出ていったような感触なんです。ありがたいことに、皆さん喜んで読んでくださっています。

浅井 坂田さんにはとても及びませんが、私もたくさんの人に贈りましたし、私の友人のようにお子さんやお孫さんに贈ったという人が何人もいます。自分だけのものにしておくのではなく、周りの大切な人にもぜひ伝えたいという人が多いですね。

坂田 この『365の金言』は、魂の故郷ですよ。その気持ちを分かち合いたいと思うて、この本を贈る時に添えた手紙を少しご紹介します。
「冊子の中の1行、1言はずっと昔から、威張らず、素直、出しゃばらず、隠れる様にして、ただ一人の特定の読み人と出う事を楽しみに、千載一遇せんざいいちぐう、首を長くして待っていてくれたのだと思えます。その1言は、私にとっては宝物です。
冊子すべて役立つと言う事もあり得ると思いますが、自分の人生の時々の迷いの一コマ、その一言一行が、ふと役立って納得。それとなく絡みがほどけて、謎解きのように教えてくれて、人生の行く道を指し示してくれた分けです。
本との出逢いは、偶然に見えて必然で、昔から密かに用意されていたのだとも言えます」

浅井 まさしくこの本に相応ふさわしいお手紙ですね。
私がお贈りした方からは、「枕頭ちんとうの書にしたい」といった喜びの声や、「今後長きにわたり活読、味読、憶念おくねんしたい」というありがたいお礼状をしたためてくださった方もありました。

「実践人の家」参与

浅井周英

あさい・しゅうえい

昭和11年和歌山県生まれ。35年和歌山大学卒業後、教師となる。50年和歌山市教育委員会に入り、平成4年同教育長、8年より同助役を務める。18年森信三師が創設した「実践人の家」理事長。25年退任。 明治29年9月23日、愛知県生まれ。教育者・哲学者。大正15年京都大学哲学科卒業。昭和13年旧満洲の建国大学教授、28年神戸大学教授。平成4年逝去。「国民教育の師父」と謳われ、その教えはいまなお多くの人々の人生の糧となっている。

読書は自分を次の生き方へ導いてくれる

坂田 いまご紹介した手紙の最後のほうには、「読書は自分の次の生き方との、天が与えて下さったかいこうつながるのかもわかりません」ともつづりました。私と森先生との出逢いの戸口になったのも読書で、それがいま致知出版社さんから出ている『人生二度なし』の巻末に載っている講演録なんです。
私は、学問なんかはどっちでもいい親に育てられましてね。というのも、百姓の家に生まれた私には、算数や国語よりも、大雪や大雨の日に山の中をマッチ1本で生きていく技術のほうが大事だったんです。
ところが20代の時に、森先生の『人生二度なし』を読むご縁に恵まれました。当時は別の出版社から出ていて、巻末の講演録は付録になっていました。その講演は、職業訓練所というて、学校にも行けない恵まれない若者を集めた訓練所で行われたもので、私はその森先生のお話を通じて、いかに生きたらいいかということを考えるきっかけを与えられて、心を揺さぶられたんです。

浅井 直接対面を果たされたのはいつでしたか。

坂田 昭和44年の夏、29歳の時でした。森先生に学ぶ「実践人の家」が松山で開いた研修会に参加したんです。
その前に、お弟子さんの徳永康起やすき先生の「私の歩んできた道」という冊子が実践人の家から送られてきましてね。私はこれに感動して、200冊ぐらい注文して知り合いに配ったんですよ。それを聞いた森先生は松山の研修会の前に、まだ面識のなかった私に、当日はぜひ声をかけてほしいとハガキをしてくれたんです。
それで、研修会の会場で私が「坂田です」と挨拶をしに行ったら、森先生は目をまん丸くして、5分間くらい言葉を発することができませんでした。徳永先生の冊子を200冊もまとめて買った私のことを、きっとどこかの校長先生だろうと森先生は思われていたようで、やって来たのが漢字もろくに書けん29歳の若者だったからびっくりされたんです(笑)。

浅井 当時は、実践人の家で学ぶ人はほとんど教員ばかりでしたから、農家の坂田さんと呉服屋の寺田さんは異色の存在でしたね。森先生はそんなお二人に大変目をかけておられて、坂田さんが贈られた「むかし むかし」という詩を読まれた時は、「えつどうこくを禁じ得ませんでした」とハガキに喜びを綴られていますね。
「むかし むかし/師を同じくする/一人の呉服屋さんと/百姓がいました/二人は/めぐまれた境遇では/ありませんでしたが/師をしたい/はげましあい/心ゆたかに/生き抜いたそうです」

坂田 いやぁ、懐かしいなぁ。

ハガキ道伝道者

坂田道信

さかた・みちのぶ

昭和15年広島県生まれ。県立向原高校を卒業し、農業の傍ら大工見習いとなる。46年森信三師と出会い複写ハガキを始める。ハガキによるネットワークを確立し、講演などで全国を飛び回る一方、食への関心を深め、自宅を開放した半断食、坐禅断食の会や料理教室を開催。著書に『ハガキ道に生きる』『この道を行く』(共に致知出版社)などがある。