2021年4月号
特集
稲盛和夫に学ぶ人間学
我が心の稲盛和夫②
  • 京セラ元会長伊藤謙介

稲盛和夫の
フィロソフィに導かれて

この記事は約8分でお読みいただけます

オーナー意識を持って働く25歳の青年の下で

すべての始まりは、社会人としての第一歩を稲盛和夫さんのもとでスタートしたことでした。

私は京セラの社長、会長を歴任してきましたが、実は京セラが手掛けてきたセラミックの仕事にたずさわることなど、最初は夢にも思っていませんでした。もともと大学で文学を学びたいと考えていたものの、経済的な事情から断念し、やむなく京都の老舗碍子がいしメーカー・松風しょうふう工業に就職。しかし、学びの思い断ちがたく、生活の基盤をつくってから学び直そうと決意しました。仕事を終えてから大学で勉強するという、いまから思えば中途半端な出発でした。

そこでたまたま稲盛さんの部署で働くことになったのです。何とも幸せな運の巡り合わせでした。

松風工業は大赤字の会社で、経営に対する不満から組合が頻繁ひんぱんにストを行っていました。敷地内に赤旗が林立りんりつしているような状態でしたが、稲盛さんの部署だけは懸命に働いていました。新しい事業に取り組まなければ会社は存続できないという危機感から、稲盛さんは20~30人の部下を率い、ファインセラミックスという特殊磁器の研究に取り組んで会社を救おうとしていたのです。稲盛さんの開発した製品は松下電器(現・パナソニック)グループからぜひテレビのブラウン管に使いたいと注文をいただき、何としても商品を納めなければと、ストを破って仕事に打ち込んでいました。

当時の稲盛さんはまだ25歳くらいでしたが、組合から激しいつるし上げを受けても、会社で利益を上げているのは自分の部署だけで、それを止めたら会社そのものがなくなってしまう、と年長の組合員たちに堂々と主張して仕事を続けることを認めさせました。

そこには、後に京セラフィロソフィとして結実する「お客様第一主義」「企業の使命感」といった考え方が既に芽生えていたと私は思います。

部下の私たちは、稲盛さんからしょっちゅう集められては話を聞かされたものです。それはただ仕事の指示にとどまらず、これからやる仕事に成功したら次はこういう可能性が開けてくる、仕事の意義とはこういうことだ等々、人生観、仕事観といった人間としての生き方の根本にまで通ずる話でした。

役員でもない、25歳の一青年が、この会社を立派にしなくてはというオーナー意識を持って働いていたことは希有けうなことだと思います。

親分肌で、夢を与えてくれる稲盛さんを皆尊敬し、一所懸命働きました。私自身も稲盛さんの魅力に強烈にかれ、仕事にどんどんのめり込んでいったのです。

京セラ元会長

伊藤謙介

いとう・けんすけ

昭和12年岡山県生まれ。高校卒業後、松風工業入社。働きながら大学で学ぶが中退。34年京都セラミック(現・京セラ)創業に参画。50年取締役。常務、専務、副社長を経て、平成元年社長に就任。11年会長。17年相談役。著書に『心に吹く風』『リーダーの魂』(共に文源庫)『挫けない力』(PHP研究所)、最新刊に『美を伴侶として生きる歓び』(文源庫)。