2019年5月号
特集
枠を破る
特別講話
  • 三千院門跡門主堀澤祖門

枠を破る

家庭、職場、そして国家に至るまで、この世に争い事は絶えない。人間はなぜ、平和を希求しつつもかくも愚かな行いを改められないの——。2019年1月に開催された弊社新春特別講演会では、比叡山で最も過酷な行の一つ、12年籠山行を戦後初めて満行した堀澤祖門老師をお招きし、この矛盾に満ちた人間の実情に仏法の光を当てていただいた。我われがこれから進むべき道を明快に指し示し、1,000人を超える参加者が固唾を呑んで聞き入った名講話を、ここにご紹介する。

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どうすれば自分を生み直すことができるか

皆様こんにちは。ただいま会場で上映された『致知』40年の歩みを拝見し、大変感動いたしました。その『致知』が主催する講演会に呼んでいただいたことを心から感謝申し上げますとともに、皆様と同じ仲間だという気持ちでお話しさせていただきます。

本日は、「枠を破る」というテーマを用意してまいりましたけれども、ちょっと難しい点もございますので、できるだけ分かりやすくお話をさせていただきたいと思っています。

その前にまず自己紹介としまして、私が「自分とは何か」「人間とはいったい何なのか」、こういうことを探究し始めたいきさつをお話ししておきたいと思います。

私は昭和4(1929)年生まれでございますから、今年でちょうど90歳になります。あと10年で100歳になるわけなんですけれども、私の若い頃には旧制高等学校というのがあったんですね。私より1年下の方々は途中で新制大学に移行しましたから、私は旧制高等学校できちっと卒業できた最後の生徒なんです。そういうわけで、旧制高等学校の素晴らしさを肌身で体験した一人でございます。

私は新潟県の田舎の小千谷おぢやという所に生まれ、新潟高等学校に入りました。1年生は全員寮に入ることになっており、入寮式の後で寮長を務める先輩が、諸君に言いたいことがあるとのことでお話をいただきました。

旧制高等学校の生徒というのは、いまの高校3年生と大学1、2年生を合わせた3年間ですから、人間がちょうど大人に変わっていく非常に大事な時なんですね。で、その先輩がおっしゃるには、高等学校というのはただ勉強をする所じゃない、人間を変える所なんだと。諸君はここで自分を生み直すことが肝心要かんじんかなめ。親の元を離れて一本立ちし、これから人生の荒波を乗り切っていく。この3年の間にそういう人間に自分を生み直すこと、「再誕さいたん」しなくちゃいけないんだと熱を込めて語ってくれたんです。

人生の問題についてまともに話を聞かされたのはそれが最初でした。田舎出の生真面目きまじめな少年には青天せいてん霹靂へきれきで、非常に感動しましてね。じゃあどうしたら自分を生み直すことができるのか。それについては、自分でやるんだと。自分で苦労して掴み出して初めて自分のものになるんだと先輩に突っ放されて、仲間との切磋琢磨せっさたくまが始まったわけです。とは言っても、高校生ですから知識は圧倒的に足りません。とにかく先賢に学ぶしかないだろうというので、3年間は古今東西の古典という古典を無我夢中で読みまくりました。

これは自分とは何か、人間って何かという根本問題であって、若い高校生が3年くらいで解決できる問題じゃなかったんですけど、命懸けでそういう問題にぶつかった旧制高校の時代というのは、私にとっては輝いた時代でした。

残念ながらいまの日本には、そういう教育の場がないように思います。『致知』さんあたりによい知恵を授けていただいて、そういう中身を持った教育制度を新しく誕生させるべきじゃないのか。自分を持たない人間が他人の意見ばかり聞いて、はい、はいと言っているようなことでは真の独立はできません。いまの日本の有り様では、本当の意味で独立をしているとは言い難いと私は思うんです。

三千院門跡門主

堀澤祖門

ほりさわ・そもん

昭和4年新潟県生まれ。25年京都大学を中退して得度受戒。39年十二年籠山行を戦後初めて達成。平成12年叡山学院院長、14年天台座主への登竜門「戸津説法」の説法師を務める。25年12月より現職。著書に『君は仏 私も仏』(恒文社)『求道遍歴』(法藏館)『枠を破る』(春秋社)など。