2017年6月号
特集
寧静致知
インタビュー①
  • サンドビック前社長藤井裕幸

究める力が
道をひらく

スウェーデンに本社を置くサンドビックグループは、世界最大の切削工具メーカーを中核として、世界130か国に展開するグローバル企業。そのグループ内の生産工場において、世界三大工場の1つに数えられるのが宮城県にある瀬峰工場だ。1度は本社から見放され、取り潰しの危機にあった同工場を蘇らせた藤井裕幸氏は、いかにして事態を好転させたのか。氏の取り組みとともに、その基盤となった仕事人としての半生を伺った。

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海外との大きな差

──藤井さんは外資系のサンドビックグループ傘下にあって、一度は閉鎖が決まっていた宮城県内の瀬峰工場を蘇らせたばかりか、トップレベルの優良工場にまで育て上げられたそうですね。

そもそもサンドビックグループは、超硬切削工具をはじめ、鉱山・建設用機械、特殊鋼など産業に欠かせない製品を製造するスウェーデンのグローバル企業で、世界130か国に展開し、売上高は約1兆3,000億円にもなります。
おかげさまで瀬峰工場はグループ内の生産工場にあって、「世界三大工場」の一つに認定されるまでになりました。

──それだけの規模を誇る企業グループにおいて、日本の工場をトップレベルに押し上げられたのは大変なことですね。

ありがとうございます。経緯については後ほど触れることになると思いますが、実は昨年(2016年)の1月末でサンドビックの役員を退任しました。いまは主に経営コンサルタントとして、大手企業のグローバル化のお手伝いをしています。
というのも日本では「グローバル企業」と呼ばれていても、技術力はあるんですけど、海外の企業と比べて販売やマーケティングがどうしても弱い。一方、私が在籍したサンドビックをはじめ、イケアとかボルボなどスウェーデンのグローバル企業は国内販売の割合は全体の3、4%しかなくて、残りはすべて海外で売っている。

──そこに日本のグローバル企業との大きな差があるわけですね。

そうなんです。私はサンドビックで17年やってきた中で得たノウハウがたくさんあるので、それをぜひお伝えしたいと思っているんです。
そんなこともあって、いまはひと月の移動距離から言ってもサンドビックの頃に比べて5倍くらいになりました(笑)。それでも自分の時間と体力が許す限りはやりたいなという決意のもと、全国を飛び回っています。

サンドビック前社長

藤井裕幸

ふじい・ひろゆき

昭和24年奈良県生まれ。46年慶應義塾大学商学部卒業後、オークマ入社。製造、営業などを経て、米国現地法人立ち上げに携わり、通算13年間米国に滞在。平成12年サンドビックに入社し、副社長兼コロマント事業部長に就任。19年社長就任。サンドビックグループ日本統括代表を務める。28年に退任後は主に経営コンサルタントとして活動。著書に『究める力』(ダイヤモンド社)がある。