2018年6月号
特集
父と子
インタビュー②
  • エッセイスト高田都耶子

お父ちゃまは、
お写経勧進坊主で本望や

ユーモア溢れる独自の説法で全国に数多くのファンを擁してきた故・高田後胤師。法相宗管長、薬師寺住職として100万巻お写経勧進を発願。荒廃した伽藍の再興に人生を捧げてきた師の歩みや志を、長女でエッセイストの高田都耶子さんにお話しいただいた。

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管長猊下ではなく「私の管長さん」

——全国の人に親しまれた高田好胤こういん先生が遷化せんげされ、今年(2018年)で20年を迎えます。

ええ。娘の私が言うのもおこがましいかもしれませんが、偉い人だったとつくづく思います。亡くなって20年が経ったいま、こうしてインタビューの機会をいただくことを考えても、父の存在の大きさを痛感します。
3年前の17周忌の時に「もうお父さんのことを知っている人も少なくなったし、薬師寺での年忌法要はこれで終わりにするから」と言われました。ところが、奈良に2,000名、東京の別院に600名もの方々がお参りくださいましたのです。父がいかに多くの人から愛されていたかを実感いたしました。
いま全国のお寺さんでお写経勧進が行われていますが、これも元はと言えばいまから50年前に父が薬師寺で始めたものです。それまでの薬師寺境内には、鎌倉時代創建の東院堂、西暦1600年に建てられた仮金堂、江戸時代創建の講堂等がありましたが、創建当時からの建物は唯一焼け残った東塔だけでした。
奈良の薬師寺や興福寺は唯識ゆいしき教学を学ぶ法相宗ほっそうしゅうという学問のお寺ですから、組織づくりをせずに1300有余年きたのです。つまり檀家を持たないということは、荒廃した寺を復興したくても檀家さんに頼ることができなかったのです。ですから父は、日本人に親しまれている、いわば国民のお経ともいうべき『般若心経はんにゃしんぎょう』をご写経いただき、納経のうきょう料(1巻1,000円)で金堂を再建しようと志したんです。
  
——広く知られる薬師寺の「百萬巻お写経勧進かんじん」ですね。

はい。東大寺を創建された聖武天皇、光明皇后のお写経が正倉院の御物ぎょぶつとして納められています。手漉てすき和紙にしたためられたお写経は1000年経っても綺麗きれいに残っているのを見て、これだと思ったのでしょう。
まだ薬師寺が貧乏だったにもかかわらず、お写経に使う和紙は手漉きのもので、越前五箇えちぜんごかの岩野平三郎家に、お手本は田中塊堂かいどうというお経を書いたら日本一と言われる書家の先生にお願いしたんです。
一流の和紙とお手本で1000年残る写経を納めていただこうという、まさに父のひたむきさの表れなのだと思います。そういうものも含めて昭和人の心を残そうと思ったのです。
  
——好胤先生を「偉い人」とおっしゃったのは、そういうことなのですね。

そうですね。父は偉ぶるようなところがまったくない人でした。父の説法を聴いた人にとって父は「法相宗管長・高田好胤猊下げいか」ではなく、「私の管長さん」という存在でした。現に「管長さんから私が一番仲良くしてもらった」とおっしゃる方が、全国にたくさんいらっしゃいますもの(笑)。

エッセイスト

高田都耶子

たかだ・つやこ

昭和31年奈良県生まれ。白百合女子大学文学部卒業。エッセイストとして活躍する一方、講演活動にも力を入れる。著書に『名師の訓え』『父・高田好胤』『父からの贈りもの』(いずれも講談社)。『後生大事に』(芸術新聞社)。