2018年11月号
特集
自己を丹誠する
インタビュー
  • 作家曽野綾子

自己丹誠こそ幸福への道

数多くのベストセラーを手掛け、日本を代表する作家として知られる曽野綾子さん。23歳で文壇デビューを果たして以来、87歳を迎えたいまなお精力的に創作活動を続けている。失明の危機や最愛の夫との別れなど、様々な試練を乗り越え、64年間一つの事に打ち込む中で見えてきた「幸福論」とは―。

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加齢は人間に知恵を与える

——今回、曽野先生を取材させていただくに当たり、『致知』に初めてご登場いただいたのはいつだったか振り返ってみましたら、1984年10月号でした。これがその時の記事です。
34年前ですか。昔のものは忘れたいですね。恥ずかしいので(笑)。

——この記事の中で『戒老録』のお話をされていましてね。

戒老録かいろうろく』は確か37歳の誕生日に、当時の日本人女性の平均寿命が74歳だと聞いて、「ああ、きょうは私の人生の折り返し地点なんだ」と思って、老年に警戒すべきことをその日から書き留めることにしたんです。何か体裁ていさいのいいこと言ってるでしょ(笑)。

——『戒老録』に「私は25歳の自分よりも37歳の自分のほうがまだしも少しは信用できるように思った」と書かれています。その理由をインタビューで答えられていて、「人生がよく見えてきたから」だと。

まあ、そうでございましょうね。20代から比べれば。

——そして、「37歳の時より、いま(53歳)はさらによく見える?」との質問に、「もうけた違いですね」とおっしゃっていますが、あれから34年経って、さらに人生がよく見えてきたという実感はございますか?

ありますね。やっぱり加齢は人間に知恵を与えると思います。どんなにぼんやりしてても、日々の生活を営む中で何かの出来事に遭遇したり、何かの光景を見たり、いろんな経験を積むうちに少しは利口になるような気はします。

——加齢は人間に知恵を与えるという言葉は、私たちに希望を与えてくれますね。
 
まあ、事実というよりは、そうなればいいという一つの希望ですけどね。
ですから、加齢によって段々見えなくなることもあるし、不自由になることもありますけれども、読みが深くなることはある。ことに身内の争いなんかしていらっしゃる方の話を聞くと、あきらめちゃえば簡単なのに、ってよく思います。
若い時はそれを諦められないで、何とか理想通りの人間関係に修復していこうと思う。でも、不可能な場合が多い。諦めっていうのも随分大事だなと思いますよ。私は子供の時から諦めることはうまかったんですけど、年を取ってもっとうまくなったし、捨てることもうまくなった。

家に何でもたくさん物を置いておく「」がいらっしゃるでしょ。私、逆なんです。どっちかって言うと、「捨て魔」なんです。人間関係でも捨て魔な面がありますね。嫌われたら、うなだれてその場を去るんです(笑)。
所詮しょせんこの世というのは計画通りにならない。かなえられる望みにも限度がある。そう思えば、割と気が楽になるんじゃないかしら。

作家

曽野綾子

その・あやこ

昭和6年東京生まれ。29年聖心女子大学文学部英文科卒業。大学在学中から第15次『新思潮』にて執筆を始め、23歳の時、『遠来の客たち』が芥川賞候補となり、文壇デビューを果たす。創作活動の一方、精力的に社会活動も行い、54年ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章受章。平成5年恩賜賞・日本藝術院賞受賞。9年海外邦人宣教者活動授助後援会代表として吉川英治文化賞、読売国際協力賞受賞。7~17年日本財団会長。21~25年日本郵政社外取締役。日本藝術院会員、日本文藝家協会理事。著書に『いまを生きる覚悟』(共著/致知出版社)など多数。近著に『イエスの実像に迫る』(海竜社)。