2018年11月号
特集
自己を丹誠する
対談
  • (左)緩和ケア医奥野滋子
  • (右)浄土宗総本山知恩院門跡、浄土門主伊藤唯眞

この生をいかに全うするか

人生百年時代といわれる。しかし、その行く着く先にある死の問題については、多くの人が平素あまり深く考えることをしない。人の死が身近にあった中世に生まれた、浄土宗の法統を継ぐ伊藤唯眞氏と、緩和ケア医として2,500人もの死と向き合ってきた奥野滋子氏の対談を通じて、限りある生を全うし、日々丹精を込めて生きるための心構えについて考えた。

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「私は死んだらどうなるの?」

伊藤 奥野さんにお目にかかるのは、ちょうど1年ぶりですね(笑)。

奥野 はい。初めてお目にかかったのが去年の同じ日でした(笑)。
私は2000年から、末期の患者さんの苦痛をやわらげる緩和ケアに携わるようになったのですが、その時に患者さんから最初にいただいたのが、「死んだらどうなるの?」という質問でした。
その時の私には、どう答えたらよいのか全然分からなかったことが悔やまれて、いろんな本を読んで勉強するようになったのですが、その中で出合ったのが猊下げいかの『日本人と民俗信仰』というご本でした。私はこのご本に、誰もが死について語り合うことの大切さを教えていただき、ぜひ一度猊下にお目にかかりたいと願っていたのです。ありがたいことに、東洋英和女学院大学大学院で死生学を学ばせていただいたご縁で、浄土宗のご僧侶から猊下にお目にかかる機会をいただきました。もう本当に嬉しくて、ワクワクでした(笑)。

伊藤 私もその頃は、友人がホスピスの問題などに取り組むのを見ておりましたので、奥野さんのご著書を拝読して、非常に感ずるところがございました。いまの人は死を考えることを忘れているというご指摘や、医療の中にもっと宗教的な要素が必要だというお考えはもっともだと思いましたし、何より奥野さんが、これまで2,500人もの患者さんの死と真摯しんしに向き合ってこられたことは大変尊いことだと思います。

奥野 私は緩和ケアに携わるまで、病院は人を死なせてはいけない場所だという教育をずっと受けてきました。けれども、どんなに頑張って治療をしても、やっぱり人は亡くなっていくんですね。
ある男性は、いつものように朝「行って来ます」って出かけた直後に交通事故に遭って搬送されてきました。懸命の治療の甲斐かいもなく、結局お亡くなりになったのですが、その時そばにいたのは私どものスタッフで、廊下で待機されていたご家族は何ともいえない寂しいお顔をなさっていましてね。果たして最期の時に側にいるのが私たちでいいのかと。近親者のいないところで最期を迎えなければならない現実に疑問を持ったことも、死の問題を考えるもう一つの大きなきっかけになりました。

伊藤 私は浄土宗の寺院に生まれ育ちましたので、その教えの源流となる空也くうや源信げんしん法然ほうねんの研究を随分してまいりました。この方々はいずれも人々が天災や疫病えきびょうや戦争におびやかされて、死というものが非常に近い時代を生き、民衆に大きな影響を与えた方々でした。
そういう時代に日本人が持っていた宗教心、そしてその信仰の根本にある来世観、死生観というものが、いまの物質中心の世の中では、どんどん失われている感があります。この心の世界を取り戻さなければなりません。仏教というのは死を問題にしておる宗教ですから、皆さんとともにこの問題をもっと考えなければいけないという思いを抱いておったものですから、奥野さんとお話をする機会をいただいてとても嬉しく思っています。

浄土宗総本山知恩院門跡、浄土門主

伊藤唯眞

いとう・ゆいしん

昭和6年滋賀県生まれ。28年佛教大学卒業。33年同志社大学大学院文学研究科博士課程修了。49年佛教大学文学部教授。平成元年同大学学長。9年京都文教短期大学長。11年京都文教学園学園長(兼任)。平成19年大本山清浄華院法主。22年浄土門主・総本山知恩院第88世門跡。著書に『伊藤唯眞著作集』『日本人と民俗信仰』(ともに法蔵館)『法然上人の言葉』(淡交社)など。

生ある者必ず死あり

奥野 いまの医療というのはいろんな専門に分化していて、それぞれの立場で関わることが多く、患者さんを丸ごとることが難しくなっています。もちろんそれぞれが最善な治療を提供しているんですが、その取りまとめ役がハッキリ分からないのが現状なのです。
私はそのベースになるものは何かと考える中で、誰もが自然と持っている宗教心みたいなものに関心を抱くようになりました。ところが病院という組織の中では、宗教者の話を聞きたいと患者さんが言っても、OKが出ないのが現状です。これは長い間、宗教と医療がまったく別のものとして捉えられてきたことが大きいと思うのです。

昔は死というものがすぐ側にあって、亡くなった人を間近に見る機会も多かったでしょうけど、いまは死体がどう変化していくかなんて見ることはありませんし、葬儀の時も非常に美しく飾ってお見送りします。死はどこか遠くに行ってしまって、自分にはあまり関係のないものと捉えられがちで、命に関わる病気になっても「死ぬはずがない」「天寿をまっとうさせてくれ」とおっしゃる患者さんが少なくないように感じます。

伊藤 生ある者、必ず死あり。この真理をいまの人は忘れておりますね。
吉田兼好の『徒然草つれづれぐさ』なんかを読むと、死期しごというものは四季のように必ずしも順序通りには巡ってこない。不意に背後に迫ってくるものだとつづっています。干潟ひがたはるか先の沖に見えていても、潮はふいに磯から満ちてくるのだと。
ですから、年老いても生きる者あれば、幼くして死ぬ者もいる。力が強いからといって必ずしも長く生きられるわけでもないし、弱い者が長生きする場合もある。死は気づかないうちに迫っている。だからこそ、いま生きていることはありがたき不思議さなのですが、いまの日本人はそういう大事なことをどんどん忘れ去ってしまっているような気がしています。

法然上人にしても、親鸞しんらん聖人にしても、中世の宗教者は死の問題を自分の問題として受け止めていました。死者や飢えた人を傍観者として見るのではなしに、死を自分の問題として捉えよう、死を本質的に見ようというところから、彼らの宗教が出てきたわけです。
ところが時代が経ち、経済が発展するにつれて、死を中心にえて考えようとしなくなり、宗教がだんだん世俗化してきた。特に明治維新以降は欧米の思考が入ってきて、いまだけを考えて生きる傾向が強くなりました。せっかく死に対してのちゃんとした考え方があったのに、死後の世界、来世のことは語ってはおかしいという具合になってきた。現世の中だけの信仰に留まってしまって、死の問題にはだんだん触れなくなってきたように思うんです。

ところが近年、列島規模で頻発ひんぱつする様々な災害は、人々が忘れておった死の問題をいろんな形で呼び覚ましております。私たちはここでいま一度、死を自分の問題として考えないといけないと思うんです。

緩和ケア医

奥野滋子

おくの・しげこ

昭和35年富山県生まれ。金沢医科大学卒業。順天堂大学医学部麻酔科学講座で麻酔・痛み治療に従事。平成12年より緩和ケア医に転向。神奈川県立がんセンター、順天堂医院緩和ケアセンターを経て、現在湘南中央病院在宅診療科医長。著書に『ひとりで死ぬのだって大丈夫』(朝日新聞出版)『「お迎え」されて人は逝く』(ポプラ社)『今日も、「いのちの小さな奇跡」を見つめて。』(大和出版)など。