2016年11月号
特集
闘魂
インタビュー①
  • 青函トンネル元トンネルマン角谷敏雄

命懸けで闘わなければ
物事は貫けない

津軽海峡の海底下約100メートルの地中を穿ち、構想から40余年の歳月をかけて完成した全長53.85キロメートルを誇る日本最長の海底トンネル、青函トンネル。2016年3月には、青函トンネルを通る北海道新幹線が開業し、大きな話題を呼んだ。気温40度近く、湿度90%超という苛酷な作業環境にも屈することなく、掘削工事を闘い抜いた元トンネルマンの角谷敏雄氏に、その壮絶な実体験と青函トンネルへの思いを語っていただいた。

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夢にまで見た北海道新幹線開業

──今年(2016)の3月26日、角谷さんもトンネルマンとして掘削に携わられた「青函トンネル」を通る北海道新幹線が開業しました。

ええ。青函トンネルに携わった人間としては、まさか本当に新幹線が通る日を迎えられるとは思いませんでしたね。青函トンネルそのものが完成したのは昭和62年で、在来線や貨物線はすぐ走ったんです。ただ、そこから新幹線が通るまでが長かった。
私たちは、「新幹線を北海道に迎えよう!」と夢見て青函トンネルを掘ってきました。しかし、当時の同僚、仲間、そういう人たちは開通を待つ間に一人、二人と亡くなっちゃって、もう年月が経ち過ぎた。トンネルが完成した時に皆で肩を叩き合って騒いだけれど、夢が叶ったいま、ほとんど私一人になっちゃったんですよ。

──多くの方が新幹線開業を見届けられずに亡くなられた。

だから、3月26日にこの近くにある青函トンネルの北海道側の出口で、初めて新幹線を迎えた時には、言葉では言い表せない感無量であったね。私一人ではなくて、命懸けで掘ったたくさんの人たちの夢が叶ったんだなと。

青函トンネル元トンネルマン

角谷敏雄

かどや・としお

昭和10年北海道生まれ。40年日本鉄道建設公団に就職し、青函トンネルのトンネルマンとして地質等を調べる「先進導坑」の掘削に携わる。62年の青函トンネル完成後は、各地のトンネルで勤務。現在は出身地の福島町にある青函トンネル記念館でボランティアガイドを務める。