住するところなきをまず花と知るべし。
有名な世阿弥の言葉である。どこまでも学び続けることこそが花、ということである。
世阿弥のことについては本文で子孫の観世清和氏が精しく紹介してくれているので、その稿に譲るが、『致知』にご登場いただいた先達は皆、一様にこの言葉を体現して生きられた人たちであることに思い至る。
本誌もまた、かくあらんと歩を進め、今日に来た。
最近、ある小学生から「致知と私」と題して感想文をいただいた。一読し、驚いた。『致知』を読み、こんな文章を書く小学生がいるのかと、驚嘆した。その文章を全文紹介する。
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「こんなかたい雑誌、小学生は絶対読まない」手にしたときそう思った。それが2年前小学4年の僕である。日本中を探しても『致知』を読む奇特な小学生なんているわけがない。それなのに塾でこの『致知』を毎日読むことになった。国語の教科書を音読した後に続けて「致知読み」という時間が設けられた。しかし、読み終わると自然に感想が出た、というより感想を言いたい衝動にかられた。侃々諤々、喧嘩のようになるときもある。これまで同じ塾生同士、意見をぶつけ合ってきた。