2023年5月号
特集
不惜身命 但惜身命
対談
  • 松陰神社名誉宮司上田俊成
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃

吉田松陰と松下幸之助

人づくり国づくりに心血を注いだ2人の傑士

片や幕末の動乱期、片や昭和の激動期。活躍した時代・成し遂げた事業こそ異なるものの、共に強烈な憂国の情を抱いて「人づくり」に命を懸けた2人の傑士がいる。「熱と誠」で多くの志ある人物を育てた吉田松陰と一代で松下電器産業をグローバル企業へ成長させた昭和の大経営者・松下幸之助である。吉田松陰を祀る松陰神社の名誉宮司・上田俊成氏と、松下政経塾塾頭として松下幸之助に薫陶を受けた上甲晃氏に、それぞれの人物像を交えてその功績を辿っていただいた。

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物事の本質を分かりやすく伝える

上田 上甲さん、ご無沙汰しております。確か令和2年11月に山口の松陰神社の立志殿りっしでんにお越しいただいたのが最後ですよね。

上甲 あれ以来になりますかね。

上田 出逢いのきっかけも確か松陰神社にお越しいただいたことだったかと……。

上甲 そうでした。私が何度も松下村塾しょうかそんじゅくに通っていたので、そのうち親しくお付き合いさせていただくようになったんですよね。

上田 お孫さんも一緒に、ご家族皆様で来てくださったこともありましたね。まさに松陰先生が引き合わせてくださったご縁です。

上甲 上田さんがこの3月に致知出版社から出版された『熱誠の人吉田松陰語録に学ぶ人間力の高め方』を読ませていただきましたが、すごく分かりやすい1冊ですね。

上田 お読みいただきありがとうございます。この本はいろいろなご縁に導かれて出来上がりました。まず友人に頼まれ松陰先生の言葉と解説を入れたしおりを作成したのが始まりで、その解説が大変分かりやすいということで、ぜひとも本を書いてはと勧められたのです。初めは断っていたものの、彼から何度も勧められて次第にやる気が起こり、ではやってみようかと原稿を書き進めました。そして以前から『致知』を愛読していたので致知出版社さんから出せないかとお願いに行ったところ、藤尾社長がご快諾くださり、この度の出版に至ったのです。
松陰先生をおまつりする松陰神社の宮司の任を平成15年に拝命して以来、松陰先生について多くの講話をする中で、どうすれば松陰先生の思いを分かりやすく伝えられるかに腐心してきただけに、それを1冊の本に結実できたことは大変に光栄なことでした。

上甲 分かりやすいというのはものすごく大事ですね。物事の本質を分かっていなければ分かりやすくは伝えられないですから。松下幸之助も難しいことを一切言わずに大事なことを言う人でしたが、上田さんも吉田松陰の言葉の本質を深く理解され、その上でやさしく解説されるから分かりやすい。

上田 私も上甲さんが昨年(2022年)末に出された『松下幸之助の教訓』を読ませていただきましたが、いまのお話の通り、大変分かりやすいんですね。松下幸之助さんの言葉もそうですが、上甲さんの解説も分かりやすく、非常に面白い。

上甲 恐れ入ります。私がこの本を執筆したのは完全にコロナの影響です。それまでは全国を飛び回って青年教育に心血を注いでいたところ、突然の外出自粛で叶わなくなりました。
松下幸之助という人は「志あれば、すべての困難はチャンスや」と繰り返し繰り返し説いています。ではこのコロナという非常に難しい局面を、どうチャンスに変えられるか。そう考えた時に、普段なかなかできないことに取り組むチャンスだと感じ、自宅でほこりをかぶっていた『松下幸之助発言集』全45巻をじっくり腰を据えて、1巻からもう1度読み返そうと思い立ったのです。
松下政経塾の塾頭を務めていた40代にも一読していましたが、やはり同じ本を読んでも、年齢と共に出会う言葉、心に響く話がまったく違うんですね。以前は塾頭としての立場上、塾運営のことばかりを念頭において読んでいましたが、この歳になると、いまの私よりも3つ上の84歳の時に、日本の次代の指導者を育成するために松下政経塾をつくった松下幸之助の思いとは、いかほどのものだったのか。そのやむにやまれぬ情熱に思いを馳せるようになったのです。
一度45巻を通読した後、2度目3度目は自分の体験談を交えた解説もつけているうちに、428ページという単行本としては分厚い1冊になりました。

上田 重量感のある本ですが、核心を突かれている1冊ですよ。

松陰神社名誉宮司

上田俊成

うえだ・とししげ

昭和16年山口県生まれ。國學院大學史学科卒業。飯山八幡宮宮司、山口県神社庁長、神社本庁理事、山口県文化連盟会長、長門市文化振興財団理事長を歴任。平成15年松陰神社宮司を経て、28年より名誉宮司・顧問に。著書に『零言集』(マシヤマ印刷)の他、今年(2023年)3月に『熱誠の人 吉田松陰語録に学ぶ人間力の高め方』(致知出版社)を刊行。

熱誠の人吉田松陰の遺言

上甲 ところで、上田さんが松陰先生に関心を抱かれたのはどういうきっかけでしたか?

上田 私は松陰先生の生誕の地・萩の隣町のながで生まれ育っていますから、父や地元の長老たちから「萩には吉田松陰という偉人・けつぶつがいた」としょっちゅう聞かされていました。しかし恥ずかしながら、その程度に止まっていました。松陰先生の熱誠に接したのは、61歳で松陰神社の宮司に就任してからなのです。
もともと私は長門市の飯山八幡宮の宮司でしたが、松陰神社の前宮司が90歳を迎えられ、後任がいないとのことで、山口県神社庁の庁長も務めていた私にお声がかかったわけです。
宮司になってまず取り組んだのが、神社で出している小冊子の改訂です。この作業を通じて有名な「しちそく」や『こうもう』をはじめ多くの著作や遺訓に触れ、そのことによって松陰先生と本当の出逢いを果たしたと言ってよいでしょう。中でも心打たれたのは亡くなる直前、松下村塾の門弟に向け獄中で著した遺書『りゅうこんろく』です。特に第八節には驚愕きょうがくしました。心に電流が走るという表現のごとく、大変に心を打たれたのです。

上甲 それはどういう内容で?

上田 少し長いですが、後半部分をご紹介します。

けい三十、しいすでそなはる、またひいで亦実る、しいなたると其のぞくたると吾が知る所にあらず。し同志の士其のちゅうあわれけいしょうの人あらば、すなわち後来の種子いまだ絶えず、自らの有年に恥ぢざるなり。同志其れれを考思せよ」

死を悟った松陰先生が、「自分は30歳になるいままで懸命に生きてきて、その中には確かに春夏秋冬はあったのだ。だから自分の思いが次の世代に伝わって、私の志を継いでくれる人がいれば、私は安心してける」と言っているのです。これは本当に懸命に生きた人でないと言えない言葉であり、ある種の日本人の隠れた死生観を表していると思います。懸命に生き切った者は次へ魂のバトンタッチをして安心して逝くのです。

上甲 実際にこの言葉に発奮した門下生たちは見事に明治維新を成し遂げますし、松陰先生のこの生き方、言葉は現代にもきちんと伝わり続けていますね。

上田 実はこの第八節は安倍晋三さんがお父様の晋太郎さんの葬儀の時に言及した言葉で、それを覚えていた昭恵夫人は晋三さんの葬儀の時に触れており、そのことにも大変感動しました。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪市生まれ。40年京都大学教育学部卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』『人生の合い言葉』など。最新刊に『松下幸之助の教訓』(いずれも致知出版社)。