2019年11月号
特集
語らざれば愁なきに似たり
インタビュー①
  • 平和園社長新田隆教

意志あるところに道あり

昭和34年の創業以来、本物の素材と心を込めた料理で地元北海道の人々に親しまれてきた焼き肉レストランの平和園。現在3代目社長として同社の経営を担う新田隆教が、目の難病とそれに伴う周囲との軋轢で、深い苦悩に沈んでいた時期があったとは、その快活な笑顔からは想像だにできない。社長就任に至る紆余曲折と、闇の中に光を見出すまでの道のりを振り返っていただいた。

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ハンディを忘れなければ経営はできない

——焼き肉といえば平和園というくらいに、御社の焼き肉店は地元に親しまれているそうですね。

昭和34年の創業当時から、肉の手切りや、ご注文をいただいてからその数量分だけタレを調合する一丁付けなど、おいしさを追求するためにあえて手間のかかる調理法を貫いてきました。現在十勝とかちに6店、札幌に3店を運営していますが、効率を求めて店舗やメニューを画一化するのを避けて、お客様が心からくつろぎ、楽しんでいただけるお店づくりに努めているんです。

——ところで、こうして対面していても健常な人とほとんど区別がつかないのですが、新田さんは目が不自由でいらっしゃるそうですね。

以前は普通に見えていたんですが、社長に就任した半年後、平成25年の暮れに失明してしまいました。
前職の銀行に勤めていた平成7年に、外回りで車を運転している時に自転車と接触してしまいましてね。幸い相手の方に怪我けがはなかったのですが、自転車に気づかなかったのはおかしいと思って、念のため病院で目を検査してもらったんです。そうしたら、網膜色素変性症といって、視野がどんどん狭くなっていく進行性の難病にかかっていることが分かりました。

——経営活動に支障はないのですか。

もちろん不自由さ、不便さはあります。けれどもハンディを忘れなければ経営なんてできませんね。日常の業務は秘書にサポートしてもらっているので特に問題はありません。「これからお店を回ろう」と言って一緒にパーッと回って来たりもするんです。
現場へ行ったらできる限りスタッフに声をかけるようにしています。「○○さん、いつもありがとうね。仕事はどう?」とか。見えなくても、そういうやりとりの中でいろいろキャッチできるものはあるんです。

——ハンディをものともせずに活躍なさっているのですね。

とは言っても私は未熟な人間です。目が見えなくて生きていくだけでも苦労している自分が、どうして会社の経営まで、と腰の引けていた時期もありました。でも、苦労にいつまでもひたっているのは単なるバカですよね。苦労の中から何かをつかみ取るのが本物の人間だと自分に言い聞かせて頑張っているんです。
「意志あるところに道あり」という言葉がありますが、どこそこへ行きたいという意志さえ明確に持っていれば、必ず道は開けるし、その一所懸命な姿を見て周りの人もサポートしてくれるんです。

——2019年創業60周年の節目を迎えられたそうですが、特に注力されていることはありますか。

いまは時代が大きく変わってきていますから、変えるべきことと変えてはならないこと、不易流行をしっかり意識しながら前へ進むことが大事だと考えています。
その一環で、平和園を牽引けんいんし、成長を実現してきた私の両親、会長と常務に、折に触れて昔の様々なエピソードを聞かせてもらっているんです。それを若い世代に伝えていくことで、当社が大切にすべき理念を継承していきたいと考えています。それをベースに、時代に合わせた商売のやり方や、個性を生かしたビジョンの構築に取り組んでいるところです。
私はこうした活動を通じて「平和園ファミリー」を築いていきたいと考えています。従業員同士がお互いを認め合い、ファミリーのように力を合わせて仕事をする。独立を志すスタッフには精いっぱい支援をして、お互いの店が親子のようにつながり、共に地域の方々に喜ばれるお店になる。そんな深い絆で結ばれた平和園ファミリーを皆の力で築いていくことがいまの願いです。

平和園社長

新田隆教

にった・たかのり

昭和42年北海道生まれ。平成2年京都産業大学卒業。住友銀行に入行。在職中に目の難病を患う。その後長兄の事故を受け、平成12年に父親の経営する平和園へ入社。25年社長に就任。ほどなく失明するが、経営の一線で活動を続けている。