2020年4月号
特集
命ある限り歩き続ける
  • 農漁家レストラン松野や店主松野三枝子

「生きる」。
それが人生で最も大切なこと

末期がん、東日本大震災を
生き抜いて学んだ命の尊さ

2006年、53歳で突然末期がんを宣告された松野三枝子さんは、東日本大震災時、津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町の病院に入院中だった。間一髪で命を助けられ、翌日から重篤な体を必死に動かし炊き出しを開始したところ、3か月後の精密検査で全身に転移していたがんがすべて消えていたという。松野さんが呼びよせた、科学では証明できない奇跡に迫る。

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感謝しながら生きる日々

川の向こう岸は一面、綺麗きれいなお花畑でした。ただし五分咲き。「えー、もったいない。満開の時に来てみたい」。そう思った瞬間、現実世界に引き戻されました。これが世にいう三途さんずの川だったのでしょう。

当時の私は緊急手術の後、三日三晩意識が戻らず寝込んでいました。スキルス性胃がんのステージファイブと診断され、医師も家族も助からないだろうとあきらめかけていたら、「この川は渡らない!」と私が寝言を言いながら奇跡的に目を覚ましたそうです。

普通の人は五分咲きでも三分咲きでも、「綺麗ね」と橋を渡っていくのでしょうが、可愛かわいげのない強気な性格だったことが、私の生死を分けることになりました。

それから5年後、東日本大震災が襲った時は、津波で街が全壊した南三陸町の病院に入院中でしたが、ギリギリのところを助けられました。余命いくばくもない自分が生き残り、前途洋々な若者たちが目の前で流されていった。世の無情さに絶望しながらも、助かった者の務めとして、翌日から自宅に備蓄していた食材を使って炊き出しに駆け回っていたところ、理由は分かりませんが、3か月後の精密検査で全身に転移していたがんが完治していたのです。それから8年経ったいまも再発はしていません。

一生のうちに一度も経験しない人も多い大病、そして大震災という「まさか」を二度も経験し、共に生き延びることができた奇跡。そこから教えてもらった命の尊さと、生きていることへの感謝を日々み締めています。

農漁家レストラン松野や店主

松野三枝子

まつの・みえこ

昭和28年宮城県生まれ。35年のチリ地震による津波被害で、当時3歳だった妹と祖母を失う。48年19歳の時に農家に嫁ぎ、育児や家事を行う傍ら、フードイベントに出店し、郷土料理を振る舞う。平成18年53歳の時に末期がんを宣告される。23年東日本大震災の時、入院先の病院で被災。4か月後、がんが奇跡的に完治する。26年1月自宅横に「農漁家レストラン松野や」をオープン。