2025年1月号
特集
万事修養
対談
  • ファンケル名誉相談役、ファウンダー池森賢二
  • ドトールコーヒー名誉会長、創業者鳥羽博道

何が人を
大成に導くのか

共に昭和12年生まれの87歳、徒手空拳から事業を興し、一代で日本を代表する企業へと導いてきた二人の立志伝中の人物がいる。
ファンケル名誉相談役の池森賢二氏とドトールコーヒー名誉会長の鳥羽博道氏だ。
30年以上にわたり親交を深めてきた道友が初めて語り合う人間学談義に、人生と経営を発展させる要諦を学ぶ。

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名経営者が語るリーダーの4条件

池森 鳥羽さんとは同じ昭和12年の生まれですけど、私のほうが4か月先輩ですね(笑)。

鳥羽 僕は10月で、池森さんは6月。先輩には頭が上がらない(笑)。池森さんのようにけんこうでありたいと思っています。

池森 明日もゴルフに行きますよ。雨の予報が一転して晴れの予報に変わってね。私はものすごく晴れ男なんですよ。
お互い87歳ながら鳥羽さんは少年のような夢を持っている。これは非常に好感が持てます。

鳥羽 以前、堺屋太一さんと対談したことがあって、その時に堺屋さんが色紙を贈ってきたんです。「鳥羽君のため 堺屋太一」と。そこに4つの言葉が書いてありましてね。最初が「」、幼い子供のような夢を見る。次に「はく」、その夢に対して気魄を持って追いかけている。それと「じんさい」、人の才能、アイデアっていう意味だと思うんです。最後に「ぶっしん」。

池森 やっぱり堺屋さんは本質をよく見抜かれていますね。どれも当たっていますよ。

鳥羽 改めて思い返すと、確かに子供のような夢ばかり見て、その夢を追いかけている。それが多少若く見られる要因かもしれません。

池森 私は若い人たちに「夢を語れ」「夢を語れないリーダーは去れ」とよく言うんです。私自身、こんなことをしたいんだ、こんな会社にしたいんだ、という夢を常に語ってきました。夢を語り、皆で共有することは大事ですよね。

鳥羽 共感共鳴というのが組織を強くすると思います。ですから、リーダーは共感共鳴するに値する夢やポリシーを持って、繰り返し語ること。加えて、夢を実現するためのアイデアと次の時代を読む先見性、これがリーダーとして必要な条件だと思います。そして、根本には社員の成長と幸せを願っていることが欠かせません。

池森 それはもう絶対条件です。

ファンケル名誉相談役、ファウンダー

池森賢二

いけもり・けんじ

昭和12年三重県生まれ。34年小田原ガス入社。48年退社。55年無添加化粧品事業を個人創業。翌年、ジャパンファインケミカル販売(現・ファンケル)を設立。平成11年東証一部上場。令和元年会長退任。現在、未来を担う経営者の発掘・支援を積極的に行っている。著書に『企業存続のために知っておいてほしいこと』(PHP研究所)など。

ターニングポイントを支えてくれた言葉

池森 もう20年くらい前の話ですが、悩んでいた時にある先輩経営者が贈ってくれた言葉をいまでも大事にしています。
常時30社ほどの経営者が集う異業種交流会があって、その中で私が唯一、店頭公開をしたんですよね。その頃、バブル崩壊後の大変な時期でもあったので、手形を落とせないとか会社がおかしくなっている仲間が結構いたんです。「池森さん、何とか助けてよ」とすがられるものだから、お金を貸してあげていました。
そうすると、その会社がほどなくしてつぶれちゃうんですよ。私は友達を失うのが嫌だから、「返さなくていいよ」と言っていたんですけど、結局私の前から消えてしまう。それですごく悩みましてね。そんな時に先輩が贈ってくれたのが、「小善は大悪に似たり。大善は非情に似たり」という言葉でした。
中途半端なお金を貸すのは小さな善を与えることであって、それは大悪につながっていると教えてくれたんです。それ以降、「お金を貸してほしい」と言われても、全部断るようにしました。

鳥羽 貸して嫌な思いをした経験があるから断れるんですね。

池森 そうなんです。手元にお金があって、困っている人がいるのに貸さないというのは、自分が悪いことをしているみたいな気になっちゃうんです。でも、この言葉と出逢ってから、それはかえって相手を潰してしまう。一見非情のようでも、「君のためを思ってあえて貸さない」とはっきり言えるようになりました。

鳥羽 僕が高校を中退し、父親と衝突して着の身着のまま深谷ふかやから東京に出てきた17歳の時、飲食店に住み込みで働くに当たって、布団を持って来いって言われたんです。その頃、布団は3,000円ほどでした。布団を買うお金がなく、築地に勤めていた叔父を訪ねると、叔父はこう言ったんです。
「博道に3,000円あげるのはやすいことだ。しかし、それは博道のためによくない。500円ずつ毎月返しなさい」
実際、500円ずつ半年で返したんですよ。そう言ってくれた叔父にずっと感謝していますね。

池森 その話は『日本経済新聞』で鳥羽さんの「私の履歴書」を読んで、頭に残っていますよ。すごい叔父さんがいたなと思って。

鳥羽 叔父の息子をうちの会社の監査役にして、彼が定年になるまで面倒を見ましたけど、それが叔父に対する恩返しだという思いがありました。
それから、他に忘れられないのは『致知』と縁の深いアサヒビールの中條たかのりさんに生前言われた言葉です。ある時、「とにかく僕は気が小さいんです」と悩みを打ち明けたら、「いや、あなたは物事を細かく詰めて考えるから気が小さいように思うけど、気が小さいのではなくて、『着眼大局ちゃくがんたいきょく 着手小局ちゃくしゅしょうきょく』なんだ」と。「その言葉、書いてください」とお願いしたら、わざわざ色紙に書いて額装して贈ってくれましてね。いまも家に飾ってありますが、そう言われてすごく気が楽になったんです。

池森 言葉にはそういう不思議な力がありますよ。

ドトールコーヒー名誉会長、創業者

鳥羽博道

とりば・ひろみち

昭和12年埼玉県生まれ。29年深谷商業高等学校中退。東京の飲食店勤務、喫茶店店長を経験し、33年ブラジルへ単身渡航。コーヒー農園で3年間働いた後、帰国。37年ドトールコーヒー設立。平成12年東証一部上場。17年会長に就任。18年より現職。著書に『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』(日経ビジネス人文庫)など。