「最後の宮大工棟梁」と称された西岡常一氏の弟子としてその技と精神を継承すると共に、自ら立ち上げた鵤工舎(奈良県)の総棟梁として後進の育成に心血を注いできた小川三夫氏。十五代目穴太衆頭で粟田建設社長の粟田純德氏もまた、古墳時代にまで遡る独自の石垣づくりの技法を現代に脈々と継承してきた。宮大工と石工、それぞれの道を極めてきたお二人が語り合う、心に刻む先人や師の教え、人生・仕事で貫いてきたもの――。
いまも大津市坂本の地に残る穴太衆の石垣(写真提供:粟田建設)
鵤工舎総棟梁
小川三夫
おがわ・みつお
昭和22年栃木県生まれ。栃木県立氏家高校卒業直後に西岡常一棟梁の門を叩くが断られる。仏壇屋などでの修業を経て44年に西岡常一棟梁の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建に副棟梁として活躍。52年鵤工舎を設立。以後、今日まで全国各地の寺院の修理、再建、新築などを続ける。著書に『木のいのち木のこころ(天・地・人)』(新潮文庫)『棟梁-技を伝え、人を育てる』(文春文庫)などがある。
京都国立博物館の石垣。耐久性に優れているのみならず、自然にも優しく美しい穴太衆の石垣は、現代建築とも調和・融合する(写真提供:粟田建設)
第十五代目穴太衆頭
粟田純德
あわた・すみのり
昭和43年滋賀県生まれ。中学を卒業後、城の石垣などを代々つくってきた家業を継ぐべく、祖父で十三代目の粟田万喜三に弟子入りする。平成17年に十四代目の父・純司の後を継いで十五代目を継承し、社長に就任。以来、全国各地、海外の石垣づくりや修復などを行うと共に、土木工事、造園工事なども請け負い、石垣づくりの技と伝統を守り続けている。